モンスター島の長い夜

 




 そこはひとつの島――モンスター島の中。獰猛な獣や、奇怪な怪物の怖気つかせるような声が響く、夜の帳の下で、ぱちぱちと火が爆ぜていた。モンスターの楽園の中では異質な人間たちの一行が、野営をしているのだ。

 さらに驚くことには、炎を囲んでいるのは、モンスター討伐の屈強な男どもなどではなく、むしろモンスターの餌食となりそうな娘たちであった。しかし今モンスターたちはそれを遠巻きにしているだけで、決して近寄ろうとはしないだろう。なぜなら、その華やかな娘たちの一行こそが、今この島でモンスターたちにとって脅威であるからだ。


 炎を囲んで、ゆるゆると流れる音楽の調べにただ身を任せて、娘たちは静かな時間を過ごしていた。どこか奇妙な沈黙。

「今夜が……最後の夜になるかしら……?」

 その沈黙を穏やかに破って、その中のひとりが口を開いた。夜の漆黒に溶け込みそうな黒衣のセーラーに身を包んだ――初音。暗く燃えるような真紅の瞳で、頭上にかかる下弦の月を仰ぎながら言葉を紡ぐ。

「それが終われば、私たちはお役御免なのでしょう――?」

 闇夜に吸い込まれるようなその問いに、豊かな金髪をした、青いエプロンドレスの少女が答える。

「ええ……。諭吉をさらったのが誰なのかは、わからないけれど。そいつを倒して、諭吉を取り戻したら、みんなちゃんと元の世界に還しますから。それまでは、ごめんなさい。力を貸して欲しいの」

 そう言って少女――アリスは申し訳なさそうに目を伏せた。

「アリスちゃんが気に病むことはないよ。悪いのは、諭吉をさらった人なんだから」

 元気に口を挟んだのは、甲冑に身を包んだ剣士の葉月。

「そうにょ! アリスちゃんいじめちゃだめなの!」

 舌足らずな言葉で初音に突っかかるのは、この中で最年少の少女、アリエッタだ。けれども初音は、す、と面白そうに目を細めてゆっくりと首を振った。

「いいえ、批難しているのではないわ……――ただ、ふふ、貴女たちと過ごす夜も、今夜が最後、と…………それが名残惜しく思われただけ」

 そう言って、初音は静かに一堂を見渡し、笑みを浮かべた。それは暗闇の中でよく見えなかったが、同性が見てもどきりとするほど妖艶なものだった。

「そうですね。初音さんの言われる通り……。大変でしたけど、皆さんと一緒で楽しかったです。この出会いを授けてくれたアリスさんには、感謝していますもの……」

 先程から心地良いリュートの音色を響かせていた指を止めて、シグルーンが相槌を打つ。その言葉に、娘たちは口々に賛同の意の呟きを漏らした。


 今この場にいる10人の娘たち、彼女らは皆この世界の住人ではない。パラレルワールド――それぞれが違う異世界から、アリスの「召喚」の呪文の力で連れて来られたのだ。彼女らは年若い娘たちとはいえ、皆それぞれが自分達の世界では一流の戦闘力を持っている。アリスは何者かに相棒のカラス、諭吉をさらわれてこの島にやってきたのだが、自身モンスター相手に戦う力のないアリスは、代わりに戦ってくれるよう――彼女たちをこの世界に召喚したのだった。しかしその世界を越えた短い共闘も、明日には終わりを告げようとしている。

「私、みなさんのこと忘れません!」

 突然、跳ねるように声が上がる。桃色の髪をした魔法使い、シィルだった。それに触発されたように、

「私だって、忘れないわ」

「まあ、悪い思い出じゃないわよ」

マリアと志津香、シィルと同じ世界から来た娘たちが言った。

「カイトやミュウたちは知らない、今ここにいる私たちだけの、思い出だね」

 コレット――耳の長いハーフエルフの少女が呟く。

「そう、私たちだけの、思い出……!」

 その言葉は、強く、皆を結びつけるように響いた。

「そうだね」

「うん!」

「楽しかった」

「あはは……」

 そうして笑い声がさざめきのように起こっていた。


「…………思い出」

 その輪から外れて、ひとりぽつりと呟く者がいた。小柄な身体に似合わぬ戦斧を携えた傭兵の少女、ライセン。そしてその傍らに腰を下ろす、獣相――獣のような耳を持つ少女、アリア。ふたりは寡黙で、なかなか皆と一緒に騒ぐようなことはしない。今もこうして、寄り添うようにふたりだけで身体を並べている。

「あなたは、思い出は欲しい……?」

 ライセンは傍らの少女に、囁くような声で問うともなく呟いた。アリアは、遠くを見たような瞳で、ジッと視線を動かさずに口を開く。

「……思い出は……私の中に今もあります。けれども、新しい思い出を、あたたかいものと感じることは――……今の私には、出来ないようですから」

「そう……。私は――」

 ライセンは言葉をそれ以上続けることが出来ずに、口をつぐんだ。




「ごめんなさい……みんな」

 皆が寝静まった深夜。ひとり皆から離れ、ぽつんとひとりで立つ姿があった。アリスだ。その顔は夜の闇に紛れていたが、悲嘆に暮れているのがわかる。

「言えなかった。あんな風にみんな楽しくして……私はみんなに助けて貰ってるのに。私が無理矢理この世界に連れて来て、代わりに戦って貰ってるのに」

 俯いたアリスの顔から、透明な雫が落ちる。そして、押し殺した声でアリスはその事実を口にする。

「言える訳ないわ。みんなを元の世界に還すときに、記憶は――元の世界に影響を与えないために、ここでのことは全て忘れさせるなんて……!」

「そう……?」

「っ……誰!?」

 不意に背後から響いた声に、アリスは振り返る。

「私よ……アリスさん」

 そこには暗闇に浮かび上がるような、白く透き通った顔と、鈍く光る赤い瞳があった。

「初音……さん。なんで……」

「私は、さほど眠りを必要としないの。だからね……」

 初音は、優しげな笑みを浮かべながら、ゆっくりとアリスに近づいた。囁き声が聞き取れるくらいに近づいて、アリスを見詰める。それから諭すように言った。

「私たちの世界を神のように見下ろす貴女が、そんなことで涙を見せては駄目でしょう……?」

 アリスは、自分が知らず涙をこぼしていたことに気づいた。顔を背けるようにして、呟くように言う。

「わ、私は別に……神なんかじゃ。ただのマスコットですから」

「なら、なおさらのこと。貴女はいつも笑顔でいなくてはね」

「あ……」

 アリスの頬を流れる涙を初音の細い指がすくって、初音はそれを赤い舌で舐めた。

「泣いては、駄目」

「は、い……でもっ……」

 アリスはなんとかして涙を止めようと思ったけれど、一度堰を切ったものは簡単には止まりそうもない。それどころか、涙はどんどん溢れていた。その様子を見て、初音は少し困ったように柳眉を寄せると、言葉を続けた。

「思い出はね、貴女が思っているほど、良いものではないわ。確かに、生きるための薬になることもあるけれど、それに囚われて、毒になることもある。なら……消してしまった方が、いっそせいせいする……。私の生を覗いた貴女なら、わかるでしょう……?」

 見透かしたような瞳で、初音はアリスを覗く。アリスは確かに知っていた。初音の持つ記憶――因縁。

「それは……でも……」

 しかしアリスは、さっきのひとときの皆の笑顔を思い出すと、頷くことは出来なかった。けれど初音は首を振って、アリスの否定を押し留める。

「もう、でも、はおよしなさいな。……あるべきものが、あるべきところに還るだけなのだから。それを悲しんでみても、しようがないわ。けれど、もし……悲しみ嘆くことで貴女の慰めになるなら、私は止めはしないけれど」

「うっく…………」

 それはアリスにも薄々わかっていた。ひとりよがりの悲しみに暮れても、慰めにはならないことは。喉の奥から漏れ出そうになる嗚咽を飲み込んで、アリスは口を噤む。それを初音は満足そうな微笑みを浮かべて見詰めた。そして、囁く。

「それと……もうひとつ、慰めはあると思うのだけれど」

「え……?」

「私たちが、思い出のひと雫も残さずに元の世界に還るとしても……」

 すっと、初音の白い指がアリスの涙に濡れたおとがいに添えられる。アリスの顔が上げられ、初音の瞳と見詰め合う。

「貴女の心には、思い出は――私たちと共に過ごした日々の記憶は、残るのでしょう?」

「あ……」

「それから、この身体にも」

 アリスの身体に、初音のもう一方の手が這い、まさぐる。

「ん……」

「これは、昨日あの下賎な怪物に付けられた傷ね……。この傷を抱いたまま、貴女は生き続けるのでしょう……?」

 初音の整った爪が、アリスのまだ癒えていない傷のひとつを探り当てる。

「あん、痛い……!」

 アリスが顔を歪めると、傷を苛ませる指を離して、初音は言葉を続けた。

「……それならば、貴女と、貴女の身体が――私たちがこの日々を忘れてしまっても、――それが思い出。私たちと貴女が共有した、確かな証。そうじゃなくて?」

「そう……かしら。でも、そう思いたいな……うん……」

 それは、まだ涙を残した、いつもより儚げで頼りないものだったけれど、やっと、アリスは笑顔を見せた。

「ふふ、良い子ね……」

「それじゃ、良い子にはご褒美をあげましょうか……。それと、私の思い出をね……貴女に、刻んであげるわ――」

 アリスが気づいた時には、初音の瞳が、暗い炎を宿した真紅の光が、間近に輝いていた。

「え……あっ…………あ!」

 そうして、モンスター島の最後の夜は更けて行く……。






「はい、こんばんは。アリスです」

 鮮やかな満月の夜を背にして、黒衣のアリスが微笑んでいる。その傍らにはカラスの諭吉。そこは「アリスの館」という世界だ。

「ほら、諭吉もご挨拶して」

「ぐわ、ぐわわー!」

「え? 背景が暗くて自分が目立たないですって? しょうがないじゃない、闇夜のカラス、だもの」

「ぐわー!」

「気を取り直して、と……。今回のゲーム、『夜が来る!Square of the Moon』はいかがでしたか?」

 そこにはいつものアリスがいる。マスコットキャラとして、いくつもの世界を見下ろして、それでいて自分はその世界に足を踏み入れることのない存在として。

 けれども、その胸にはかけがえのない記憶を抱いて、その身体には消し得ない絆の痕を残して、アリスは今そこにいる。

「それでは、メニューを選んでくださいね」

 アリスの笑顔は一点の曇りなく輝いていた。










あとがき

 WASTEさんの「かえるにょ国にょありす・R」を読んで、こんなストーリー性皆無なゲームからでもSSって作れるのだなー、と思って試しに書いてみたものです。……しかしなぜあのゲーム内容からこんなシリアスな話になる? 始めはなんの展望もなく書き始めたんですけど……おそらく、最初に姉様の台詞を書いてしまったのがこのSSの方向性を決めてしまったのかも。そういうわけでアリスちゃんと姉様の話になってしまってますね。

 そういう経緯で、他のキャラクターは、出し過ぎると収拾がつかなくなる可能性大なので、デフォルトキャラのみ、ということで進めました。実際、私の場合は1周目は隠れキャラはひとりも出ませんでしたので、これとまったく同じ状況でした。アリスちゃん含めて11人、控えがひとりだけという……。

 あと、ラストの「夜が来る!」のアリスの館は古き良き昔の懐古ですね。今はアリスCDですから。でもアリスの館でないとなんとなく格好つかない気がしたので、あえてこうしました。実際の「夜が来る!」はあと一月半ぐらいですね……待ち遠しいです。それでは、だらだら書いて来ましたがこの辺で。

2001.2.12.DHA

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