―― B3号 ――

 今日も、部屋の床は冷たい。コンクリートうちっぱなしの造りの部屋だから、朝晩の寒さは床にじかに伝わってくる。布切れ一枚を着ることも許されずに、することもなく逃げ出せるはずもなく、女の子たちは涙も枯れ果てて、ただ冷たい床に座り込んでいる。私も、そのひとり。
 ぎぎぃっ、と驚かすような音を立てて、廊下の扉が開いた。こつ、こつ、と硬い床に響く靴の音。その音にみんな身をすくませる。今日は誰が――連れて行かれるの?

「いや! やだぁ……!」

 しばらくして、私たちの隣の部屋から、そんな声が聞こえた。それから何かウィミィ語で罵るような声。そしてその声はだんだんと遠ざかって、また嫌な音をたてて扉が閉まると、それも聞こえなくなった。
 連れて行かれたのは、自分ではなかった――そのことで、部屋の空気が少し明るくなる。けれど、連れて行かれなかったとしても、この床の冷たさは変わらない。ほんの束の間の安心感。それだけ。


 この部屋に閉じ込められてから、ずいぶん経ったような気がする。
 戦争が始まって、ニホン軍が攻めてきて。しばらくして、今度はウィミィ軍とニホン軍の戦いになって、それでニホン軍は負けたって、誰かに聞いたけれど。私たちは、そのウィミィ人に無理矢理さらわれて、ここに閉じ込められている。
 どうして、なんだろう。部屋の外に連れて行かれたまま帰って来ない子たちは、どうなったんだろう。私は、どうなるんだろう――。

 また今日も、あの扉が軋んだような音を立てて開いた。もう何回、何日こんな日を繰り返しているのか、わからない。こつ、こつ、こつ。こつ、こつ、こつ。もう、悲しみとか恐怖なんてものも、麻痺しかけていた。
 けれども、隣の部屋じゃない、私たちの部屋の扉が開かれて、ウィミィ人の男が入ってくると、そのぬっと大きい影に、びくっと身体が強張った。
 そして、

「――っ!」

 部屋を見渡して、獲物を物色していた男の視線と、震えていた私の視線とがかち合った――かち合って、しまった。
 男は、浅黒く太い腕をぐいと伸ばしてくると私の手を掴む。

「やっ……」

 喉の奥から出たのはかすれたような声だけだった。



 連れて行かれたのは、とても明るくて、白くて、私の知っているどんな建物よりも清潔そうな、何かの部屋だった。何に使うのかもわからない機械が、ひとつのベッドを取り囲むようにして並んでいた。
 それから、ひとりの女の人がいた。白衣を着て、小さな眼鏡を鼻の上に乗せた、頭の良さそうな人。私とは違う、白い肌、青く長い髪、青い瞳。ウィミィ人だった。

 ――怖い。

 その女の人は、私の身体を調べるような視線を向けると、私を連れて来た男に命令して、私をベッドに縛り付けさせた。私は、男のなすがままだった。太い男の腕よりも、その女の人が怖かった。きれいな、青い宝石みたいで、けれども何か――トカゲかなにかのように冷たく、私を見ているようで見ていない、その瞳が。
 注射をされて、だんだんと薄れていく意識の中で、これから何かをされるのだということより、これで死ぬのかもしれないということよりも、その瞳が恐ろしかった。



 月の光が差し込んできている。目が覚めて、最初に気がついたのはそんなことだった。
 とても綺麗な月だった。窓に嵌まった格子の隙間からこぼれてくる青白い光は、私の寝ていたベッドに落ちて、部屋の中をくまなく照らしていた。私は身体を起こすと、周りを見回した。狭い部屋だった。ベッドがひとつと、窓がひとつ、それから扉がひとつしかない部屋だった。けれども壁や床はつるつるとしていて、小奇麗だった。
 でも、綺麗過ぎる。なんだか変な感覚に気付いた。月の光って、こんなに明るかっただろうか。故郷の空にかかる満月でさえ、こんなに明るい月を見た覚えはないのに。それに、おかしいのはそれだけじゃない気がした。けれども、何がおかしいのかは、よくわからなかった。
 しばらくベッドの上で、その違和感に首を傾げていた。けれどだんだんと身体が痛くなって、思うように動かないことに気がついた。その痛みに、私は再びベッドに身体を横たえた。

 ――まだ、生きてるんだ。

 そう気付いたのは、しばらくしてからだった。






「ほら、起きろ! いつまで寝てやがる――」

 いつの間にか訪れていた眠りから私の目を覚ましたのは、そんな乱暴な言葉と、身体を引っ張り上げる男の腕だった。いつの間に入ってきたのか、男は私を叩き起こすと、部屋の外へ連れ出そうとした。
 今日もどこかに連れて行かれる。また知らない場所に。昨日は死ななかったけれども、今日はどうか知れない。
 けれども、子どもの私よりも倍以上ある男の力にあらがう気もなくて、私は腕を掴まれてなすすべなく連れて行かれる。そのはずだった――

「博士がお呼びだ」

 その一言に、昨日の恐怖がよみがえった。あの瞳。身体が強張る。喉が音を立てて、それから、

「いやぁーっ!!」

 私は叫んでいた。




「ぐぎゃあああ!?」

 初めは何が起こったのかわからなかった。私の腕を掴んでいた男が、悲鳴を上げて廊下にのたうちまわっていた。その腕――手首が奇妙な方向に折れ曲がっている。

 ――私がやったの?

 だんだんとそれがわかってきて、私は昨夜の違和感の正体に気付いた。身体に力がみなぎっている。そうして、もうひとつ。今この時が、ここから逃げるチャンスかもしれないということ。
 走り出そうとした時、泣き叫んでいた男が、動く手で銃を取り出していた。

「こ、このモンスターが……!!」

 ――驚くほど、ゆっくりに見えた。

 男が引き金を引く瞬間に、私は走り出していた。弾が当たらないことはわかっていた。ぱんぱんという乾いた銃の音が、すぐ遠く後ろになった。


 建物の中は、かなり広かった。延々と廊下が続いているみたいだった。けれどもその長い廊下も、私の走る速さからすれば、すぐにも出口に辿り着ける気がする。信じられない速さで、私は駆けていたから。でも出口は――?
 見つけた出口は、何人もの兵士たちに固められていた。

「あっ……」

 でも、なんとか――今の私なら、逃げられる気がする。私は兵士たちの後ろにある扉を見据えて――

「……やれやれ、私の研究所の中で捕り物をする事になるとはな」

 男たちの中から、その声が聞こえた。女の声。聞いた事がある。

「馬鹿な男だ。実験体とはいえ迂闊に扱うなと言ったはずだというのに――しかし、実験の成果がこの目で確かめられた事は、有意義だったがね。なあ、BC−23号?」

 そう言って笑っているのは、あの女の人だった。白衣を着て、青い髪と青い瞳をした、恐ろしい――。その笑顔は、私に向いている。私の背中を悪寒が通り抜けた。でも、負けたくない……私は気力を振り絞ってその目を睨み返した。それを目にした彼女の笑顔が歪む。

「捕えろ。だが傷つけるなよ。無傷でな――」

 そして、その命令で、兵士たちがいっせいに襲いかかってきた。けれどその動きを、私の目は捉えていた。男たちの腕をかわして、壁を蹴り、その頭を越える。扉はすぐそこ。逃げられる――!!
 女は動こうとしなかった。私は女の傍らをすり抜けて、出口に疾る。その刹那、私の目は女の顔を視界に捉えていた。その顔は、驚きも失望もあらわしていなかった。ただ、ぞっとするような、愛しげな視線を私に注いでいるようだった。
 そして、出口の扉に、私の手がかかった。





「残念だったな。無能な男どもに捕えられないだろうことはわかっていた……初めからね。やつらは囮に過ぎない。こういう事態に備えて、研究所は万全の対策が備えてある。電気ショックなどという比較的単純な装置でおまえを止められたのは、運が良かったがね」

 痺れて動かない私の視界の外から、女の声が聞こえていた。

「ラボへ連れて行け。すぐに改竄処理をする。やさしく扱えよ。……私の最初の娘になる娘なのだからな」

 言葉の意味はわからなかった。私は兵士の男の手で抱き上げられた。間近に見えていた床が遠くなって、近くにあの女の顔が見えた。さっきと同じ、優しげな表情。その手が私のくせのある髪を愛しげに撫でた。その時気付いた。あれ、私の髪、なんで彼女とおんなじ色をしているんだろう――?

「BC−23……いや、違うな。B3号……おまえはB3号だ。栄えあるB型の最初の成功例だ。我が娘よ……!」

 その声を最後に、私の意識は薄れていく。そしてたぶん、ワタシというモノも失ってしまうのだと、漠然と最後の意識で感じていた。

 そうか……私は、この人の娘……

 私は……B3号に……なる……んだ……――



 

 

 

 

 

あとがき

 「大悪司」のSS、最初になったのはB3号ことキャット・Meでした。最初のプレイでは、誰とも結ばれない汎用シーネルエンドだったこともあり、いちばんお気に入りになってしまいました。元子や殺ちゃんのエンディングを見た後では、さすがに相対的に評価は下がってしまっていますが、今でも五指の中には入ります。でもエピローグ条件が厳しすぎてまだ見てませんが……。
 で、SSの内容について言うと、マニュアル(HPに一部)に載っている小説みたいな、各キャラごとのプロローグという感じで書いてみました。私は描写が多いせいか、あれよりはかなり長くなってしまったのですが。そういうつもりで読んでもらえると嬉しいかと。
 しかし「大悪司」は「鬼畜王」に比べて、各キャラのエピローグはいちおう存在しているので、こういうプロローグ的なものしか書けないかな……と思ったり。まあボチボチと書いていくかもしれないです。

2001.12.21

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