秋の日の贈り物 |
その日は特別な日だった。 夏の暑さも過ぎ去り、秋の涼しい気配が一日一日と強まってくる、そんな9月のある晴れた日のことだった。 ハウレーン・プロヴァンスは目覚めたベッドから降りると、ぐっと伸びをして、爽やかな朝日が差し込む窓に目を向けた。 「ふぁ……」 ハウレーンの口からあくびが漏れる。力なく落ちてくるまぶたを擦りながら、もう一度伸びをした。昨日の夜更かしがたたったか、目覚めは快適とは言い難かった。だが嫌な気分ではない。ハウレーンは眠い頭を振って、ゆうべ仕上げて机の上に置いてある例のものを見やった。 編み棒と毛糸の束の隣に、ちょこんとたたまれている毛糸のかたまり。それがハウレーンの苦心の作だった。ここのところ、暇な時間はほとんどそれに費やしていた。初めての、慣れない編み物。それは不恰好で、重たくて、さわり心地さえ極上とは言えなかったが、それでもハウレーンの心にはひそやかな満足感がある。 「…………さて、着替えるとするか」 しばらくそれを見つめて、不意に視線をそらすと、ハウレーンはことさらに口に出して朝の支度に取り掛かった。どうにも今更ではあるが、自分のしていることに気恥ずかしかったのだ。 ――ただ父上に差し上げるだけだというのにな。 ひとり頬を赤らめ、ひとり苦笑して。そうしてハウレーンはその日の朝を過ごしていた。 「おはようございます、ハウレーン殿」 支度をすませ、部屋を出たハウレーンに声をかけてきたのは、ちょうど話をしたいと思っていた人物だった。リーザス王室筆頭侍女、マリス・アマリリスである。 「おはようございます、マリス様。ちょうど良かった」 「何か御用ですか?」 マリスはやわらかな微笑で尋ねる。年上のその微笑に、ハウレーンは気恥ずかしさが甦る。言葉が上手く出てこなくて、やっとのことで搾り出した。 「その……お礼を申し上げたいと思って」 「お礼、ですか」 一瞬、心当たりがない、といった様子でマリスは首を傾げる。ハウレーンはおずおずと言葉を継いだ。 「以前、マリス様に教えていただいた……その、編み物のことなのですが」 「ああ……」 思い当たったのか、マリスの顔がパッと明るくなる。 「バレス殿へのですか……出来たのですね?」 「はい、ゆうべ無事に。それで、マリス様にも一言お礼を言いたかったのです」 ありがとうございました、とハウレーンは頭を下げる。マリスは微笑んだ。 「そんなあらたまられるほどのことはしていませんよ。……それよりも、バレス殿には、もう贈られたのですか?」 「いえ……これから行くところです」 そう言うと、ハウレーンは手にした紙袋を掲げて見せた。紙袋は綺麗な柄で、簡単な封がしてある。親子の贈り物としては、そう仰々しくないこの程度で充分だろう、と思ってマリスはハウレーンに頷いて見せた。 「それなら、お引き止めしているわけにはいきませんね。早くバレス殿のところにいらっしゃった方がいいでしょう。きっとお喜びになりますよ」 ハウレーンはもう一度礼を言うと、マリスと別れ黒の軍の訓練場に向かった。 リーザスには正規軍が大きく4つあり、黒・青・赤・白の4つの軍がそれぞれ訓練場を持っている。ハウレーンは白の副将であり、当然白の軍訓練場に宿舎もある。一方ハウレーンの父親バレスは黒の将軍であり、特別の用がない限りは黒の軍訓練場にいるはずだった。 「しかし、遠回りだな……」 思わず呟く。訓練場は黒・青・赤・白と並んでいるために、白から黒へと行くのはいちばん距離があるのだ。それに黒の軍の将軍であり、リーザス全軍の総大将をも務める父バレスは、多忙だ。いつも決まった場所にいるという保証はない。出来るだけ早く捕まえたかったが―― 「あ、ハウレーンさん!」 元気のいい声に、ハウレーンは思わず振り返ってしまっていた。少しく後悔した後に、話が長くならないことを祈って挨拶を返す。 「おはよう、メナド」 「おはようございます。珍しいですね、こんな時間にハウレーンさんがこっちに来るなんて」 そう言って駆け寄ってきたのはメナド・シセイ。ハウレーンよりも6つ年下の、少年みたいな印象の娘だが、ハウレーンと同じ副将を務めている。メナドの人懐っこい笑みは、ハウレーンも嫌いではないが、今はのんびりしていたいわけではない。ハウレーンは早めに切り上げるつもりで言葉を探した。 「ちょっと父――バレス将軍に用事があってな」 「ふぅん、でもそれこそ珍しいじゃないですか?」 「え……そうか?」 予想外のメナドの言葉に、ハウレーンは思わず尋ね返していた。メナドはうん、と頷いて続ける。 「ハウレーンさん、その……前はバレス将軍とケンカしていたでしょ? バレス将軍のこと避けてたみたいだったし……」 「…………」 ハウレーンは言葉に詰まる。それはその通りだったからだ。なにしろ王が即位したときには、敵味方にわかれて剣を交える事態にさえなってしまったのだし……。今は奇跡的に、元の鞘に戻っているが、それにしてもプロヴァンス親子の仲が悪いというのは周知の事実なのだ。 心配するような上目遣いのメナドの視線に、あらためてそんな事実を思い出す。 「でも、良かった。仲直りできたんですね?」 「う、その、あれが仲直りというのか……まあ、そうなのかもしれないが」 決まりが悪くなって、ぼそぼそと言い訳のように呟く。その時メナドの背後から部下の兵士の声が届いてきた。 「メナド副将ーー! 準備整いましたーっ!」 「うん、今行くよ!」 振り返ってそれに返事をして、メナドはくるりとハウレーンに向き直る。 「ごめんなさいハウレーンさん、引き止めちゃって。ぼく行かなくちゃ」 「ああ」 駆けて行く赤い鎧の後ろ姿をしばし見送って、ハウレーンは黒の軍訓練場へ足を向けた。 歩いていると、だんだんと思考がぐるぐると回り始める。メナドにあんなことを言われたせいだろうか、ハウレーンは昔のことを思い出していた。 偉大な黒の大将軍バレスのもとに生まれたハウレーン。ひとり娘で、しかも遅くに生まれた子だったから、さぞや大事に、幸せに育てられたのだろう……と思うのは間違いだ。母はハウレーンが幼い頃に亡くなり、ハウレーンは男手一つで育てられた。その育て方が、愛情のないものだったというわけではない。ただ、バレスは女の子を育てる仕方を知らなかった。バレス将軍は騎士を育てる仕方しか知らなかった。だからそれが、ハウレーンにとっての不幸であったと言える。 それでも、子供の頃はこんな感情に悩まされることはなかった。剣に打ち込み、上達するたびに頬をほころばす父の笑顔が嬉しかったから。 それが変わったのはいつだったか。そう、ハウレーンが騎士となり副将となった頃だった。 『ハウレーン、この方なんだが……』 ある日父バレスが、神妙な面持ちで切り出してきた時からだ。それは見合いの話だった。 『お前ももうこういうことを考えてもおかしくない年頃だろう』 確かにハウレーンはもう二十歳を越していた。早ければ16で結婚する娘がいるのだから、そういうことを考えてもおかしくはない。おかしくはない、が―― ハウレーンは首を振って過去の記憶を頭から追い出した。 「せっかく父上に会うというのに、わざわざ嫌な気分になってどうするというんだ、私は」 そうひとりごちて顔を上げると、いつの間にかずいぶんと距離を歩いてきていたことにハウレーンは気付いた。少し離れたところに、遠くからでもそれとわかる巨体が見える。青の将コルドバ・バーンだ……ということはここは青の軍訓練場に違いない。その背中を見ていると思わず溜息が漏れた。 「結婚、か……」 リーザス将軍の中では夫婦者は少ない。リア王女が即位したここ数年前後の間に将軍も顔ぶれがずいぶんと入れ替わって、若い世代が占めている割合が大きいからだ。赤の将リック、メナドたちは独身だし、ハウレーンの上司白の将エクスは既婚だが妻を亡くしている。その意味ではハウレーンの父バレスも同じやもめだ。というわけで、結婚生活ののろけを聞けるようなのは、このコルドバぐらいのものなのだ。彼はフルルという美少女と家庭を持っている。 やれやれだ。だからといって家庭的なフルルと比べてもらっても、ハウレーンは困る。なにしろおよそ女の子らしいことなど、なにひとつ出来はしないのだから。料理ひとつにしたって―― 『この薄くてさらさらして、キャンプの時のカレーみたいなの……しかもなんだ、この量は!! 50人分はゆうにあるじゃないか!!』 『仕方がないだろう!! 野営の時に大量に作る以外、料理なんぞしたことなんかないんだから!!』 以前した、そんなやりとりが目に浮かぶだけだ。 「行こう……」 足を踏み出す。けれども、そんな家庭に憧れていないわけではないのだ。むしろ、母親を知らず娘らしい楽しみも知らないからこそ、ハウレーンはコルドバとフルルのような関係を羨望の目で見ている。 しかし、それが手が届かないような遠いモノであることも思い知っている。ハウレーンは、男を、まったく知らないわけではない。 ようやく辿り着いた黒の軍訓練場は、赤や青の訓練場と比べると活気がなかった。 「父上は……」 見回すと、バレスの姿はなかった。どうやら自ら訓練の指導をしている様子ではない。黒の軍はリーザス軍の主力と言えるベテラン兵士の集まりである。兵士たちはどうやら今は各人思い思いの訓練に時間を費やしているらしかった。 「………………」 とすれば、兵舎だろう。とハウレーンが足を向けた矢先。 「あら、ハウレーンさん」 「レイラさん……?」 意外な人物の声に、ハウレーンは眉を上げる。レイラ・グレクニーは王の身辺を守る親衛隊の長にある女性だ。黒青赤白の将軍とはまた独自の立場にいる彼女が、この場所にいるのは珍しい。そんなハウレーンの視線から、レイラは少し視線を逸らすと、くすっと笑って尋ねてきた。 「バレス将軍に御用ですか?」 「……はい」 「私もちょっと用事があって、今お邪魔してきたところ。いらっしゃいますよ」 そう言ってレイラは道を譲る。ハウレーンは会釈して足を踏み出した。 「頑張ってくださいね」 「え……?」 背後に、レイラの励ましの言葉が聞こえて、ハウレーンは振り返った。けれどもその時には、レイラはもうハウレーンに背を向けて歩み去っていた。 「…………」 ハウレーンは、無言で兵舎に足を向けた。けれども、ついさっきまで煩っていた重い思考が、今の一言の激励で消えうせた気がした。 黒の軍の兵舎へ足を踏み入れるのはずいぶんと久しぶりのような気がした。それは錯覚なのだが、そう思うくらいハウレーンはこの場所へ自ら足を向けることはなかったのだ。だが今日は、自分の意志でハウレーンはここにいた。 コンコン。 ノックをする。バレスの部屋は奥にあった。 「誰だね?」 「ハウレーン・プロヴァンスです」 誰何の声に短く答えて、ハウレーンは扉を開けた。 ハウレーンが室内に入ると、バレスは執務机で書き物をしていた手を止めて顔を上げた。 「ハウレーン」 バレスの言葉は驚きに弾んでいた。その表情に、『珍しいな』『どうかしたのか』という言葉が読み取れる。ただ、それは拒否ではなくて、どちらかといえば心配に似た感情なのだろうが。 けれどハウレーンにはその視線は落ち着かない。以前はずっとそういう目で見守られていた。ハウレーンに結婚をさせようとするバレスは、悪気からではない、まさに心配の一心でそうしていたのだから。しかし善意からのそれは、善意である分ハウレーンにとっては厄介なものだった。すでに和解したとはいえ、その後遺症が、今もある。 やっと絞り出した声は、どうにもぎこちないものだった。 「父上、今日は、その……」 そんなハウレーンの様子にその独眼を向けながら、バレスは机から立ち上がると、来客用の椅子を引っ張り出した。 「ふむ、私用か。ああ、そんなに緊張するな。とりあえず座るといい」 「いえ……そんなに時間はかかりません」 バレスの勧めた椅子を断って、ハウレーンは思い切って紙袋を差し出した。 「……これを」 「む?」 「これからの季節は、朝夕は冷えますから……」 ――それに、父上は、すぐに腹を壊しますから。 そこまでは言葉に出来ずに、ハウレーンは包みをバレスの手に押し付けるようにする。 「それでは、これで! 私は失礼します」 「おい、ハウレーン――」 戸惑ったようなバレスの声に背を向けて、そのまま、ハウレーンは扉を閉めた。そして早足で兵舎を後にする。逃げるように。 まったく、何故あんなことをしてしまったのか。 兵舎から離れてしばらくして、ハウレーンはひとりごちた。さっきのことだ。自分があそこまで子どもじみた行動しか取れなかったなんて、思い出したくもなかったが、それでも思い出さないわけには行かなかった。 「父上は、使ってくれるだろうか……」 それが、今はなによりの不安だった。とすれば、あんな渡し方では印象も何もあったものではない。もっと気の利いた言葉でもって、自分の気持ちを伝えられたら―― 「……………………」 思って、ハウレーンは首を振った。そんな器用なことが出来れば、今ハウレーンはここでこうして騎士などやっていないのだ。自嘲気味の苦笑を浮かべて、ハウレーンは思う。ひとつ言えることには、とにもかくにも、贈り物を手渡すことだけは成功した。それ以外のことは、今更思い煩ったとしても仕方がないではないか? ハウレーンは大きくひとつ息をつくと、それから気を取り直してもと来た道を戻り始めた。 しかし、取り返しのつかない失態だったことに気付くのは、いつも手遅れになってからだ。 「ぶんぶんらろ〜、ぶんぶんらろ〜」 そんな声が聞こえた、と思ったときはすでに遅く。ぼうっと歩いていたハウレーンの目の前を、ちょこまかとした子供が横切って、ハウレーンは危うくつんのめりそうになった。 「アスカ! 廊下は走るなと言ったろう!」 思わずハウレーンは叫ぶ。その声に子ども、アスカ・カドミュウムはぶんぶんを止めて振り返った。 「あ、はうれーん」 それから、ぐるりと身体を回して辺りを見回した後に、 「ここはろうかじゃないろ?」 と、小首を傾げる。 「…………それはそうだが」 ハウレーンは肩を落とした。条件反射のように叫んだ言葉を、子どもに揚げ足を取られてしまった。なんだかがっくりと力が抜ける。 「すみませんのう、ハウレーン殿」 アスカの頭上から、そんな声がした。呪いで着ぐるみにされたアスカの祖父、チャカである。 「アスカのやつ、今日は一段と張り切っておって……」 「どうかしたのですか?」 「きょうはじじといっぱいあそぶろ〜」 「ハハ……そういうわけでしてな。今日は別に爺と遊ぶ日ではないと言っておるんですがのう」 どうも話が見えずに、ハウレーンは怪訝な顔をした。果たして今日は何か特別な日だったろうか? 頭の中でカレンダーをめくる。軍の仕事をしていると、町の人々のような週間スケジュールとは違う日程で動いているが、今日は確か…… 「9月15日か」 「ん? どうかなされましたかの、ハウレーン殿?」 「いえ、今日は何か特別な日でしたか? アスカが喜ぶようなことが……?」 「いやなに、敬老の日ですじゃよ」 「なんですって……?」 耳を疑って、思わずハウレーンは聞き返した。それはしかし押し殺したような低い声になって、チャカには聞こえなかったのか、嬉しそうにチャカは続けている。 「そういうわけで、何を勘違いしたのかワシと一日中遊ぶと言い出しましてな――」 チャカの言葉は、途中でもはやハウレーンの耳には入らなくなっていた。気付くと、アスカが心配そうに見上げている。 「はうれーん……? どしたろ?」 次いで、チャカもハウレーンの異常に気付いたのか、声をかけてくる。 「……ハウレーン殿、顔色が……」 「ちょっと眩暈がした……だけです」 『心配ありません』そう言って、ハウレーンはふたりから離れた。しかしその足取りは覚束なかった。 失敗だった。という意識がハウレーンを苛んでいた。考えまいとしても、悪い方向へとどうしても考えてしまっていた。 ハウレーンにはそんなつもりなど微塵もなかったが、結果として敬老の日にバレスにプレゼントを渡したという事実は拭えない。ただただ、季節の変わり目の風邪を引きやすい時期に、プレゼントするために編み上げただけだったのだが。 それがよりにもよって、敬老の日だとは。 そんな日は、自分の祖父や祖母、それでないなら身近な年配の方を敬う日だ、と思う。いくら年を取ったとしても、ハウレーンがバレスにプレゼントを贈る日ではない。むしろそれは父の日の方が相応しいだろう。だというのに。 「馬鹿か、私は……これじゃあ、父上を愚弄するあの男と同じだ。いや、なお悪い」 ハウレーンは暦を確認しなかった己の迂闊さを罵った。 バレスは、もうそろそろ六十という年だ。しかしハウレーンには、父が老人だという意識はない。あれで頑丈で、頼もしくて、強い父なのだ。それを誇りに思ってもいる。だが、ハウレーンのしたことは、その父に『貴方はもう老いぼれだ』と言い渡すようなことではなかったか。それは痛烈な皮肉だ。そう考えると、せっかくの仲直りもこれでご破算かもしれない、とハウレーンは暗く思った。そしてひとり呟く。 「父上は、どう思うだろう……」 ハウレーンの差し出した包みを開けると、そこには毛糸のかたまりがあった。 「ふむ……?」 それを手にとって、開いてみる。やたら固く編み込まれた毛糸のかたまりは、不恰好で、重たくて、極上の手触りとはとても言えなかったが―― 「……………………」 どれくらいの間か、バレスはそれを見つめていた。 目を細めて、じっと、その感触を確かめるように、ただ手にした腹巻きを握って。その表情は、笑っているようでもあり、泣いているようでもあった。 そして、それから。毛糸のかたまりを握った手の指に、バレスはぎゅっと力を入れた。 昼になり、ハウレーンはひとり、食堂でうつろな視線を彷徨わせていた。 「……どうしたんですか、ハウレーンさん」 その様子を横目にしながら、そう囁くようにレイラはメナドに尋ねる。 「朝に会った時は、こんなんじゃなかったんですけど……」 ハウレーンのはす向かいに座ったメナドは、わからない、という風に首を傾げた。 「バレス将軍と、またケンカでもしたのかなぁ」 「違う……」 やっとハウレーンが反応を示して、レイラとメナドは顔を見合わせる。 「むしろ、その方が気が楽だったかもしれないが」 「どういうことですか?」 「プレゼント、バレス将軍に贈られたんじゃないんですか?」 「へぇ? 朝ハウレーンさんが持ってた包み、あれプレゼントだったんですか?」 「そうじゃないかと思ったのだけれど……」 そう言ってレイラはハウレーンを見やる。どうにもハウレーンの様子が様子なので、ふたりの疑問は解けず、話も進まない。メナドも首をすくめた。 と、その時食堂に聞きなれた太い声が響いた。 「ハウレーン、ここにおったのか。探したぞ」 跳ねるように立ち上がって、ハウレーンは直立不動の姿勢を取った。思いも寄らぬ来訪に、頭の整理は出来ていなかった。 「父上、そのっ……今朝のことは……そういうつもりでは……っ」 「何のことだ? いったい」 しかし、バレスはさも不思議そうに、ハウレーンの言葉を受け流した。 「は……」 ハウレーンは、詰めていた息を吐き出す。 ――杞憂だったのか? それとも―― 明確な確信が得られないまま、ハウレーンの意識は、ともかくいちばんの心配事は過ぎ去ったことに気付いていた。そして、だとすると……。 「今、ハウレーンさんにお話を伺っていたんですよ。バレス将軍にプレゼントを贈られたのでしょう?」 レイラが、人好きのする笑顔でバレスに尋ねていた。バレスは頬を緩めて答える。 「おお、もうご存知でしたか。いや、お恥ずかしい……」 その好々爺然とした笑顔に、しかしハウレーンの不安は消されない。 「ハウレーンさんになにを貰ったんですか、バレス将軍」 メナドのはしゃいだような質問に、バレスはちらとハウレーンに目を向けると、 「腹巻きでしてな……儂は胃腸が弱いので、ありがたく使わせてもらうとするよ」 その言葉に、弾かれたようにハウレーンは尋ねる。 「父上……使ってくださるのですか?」 「当たり前じゃろう?」 「でも、でも……そんな出来のいいものじゃないから……」 「構わんよ。それとも、使わないで額縁にでも入れて飾っておいた方が良いか?」 「それは……嫌です」 消え入りそうな声で、ハウレーンが答える。その様子はまるで少女のようで、そんなハウレーンにバレスは優しく悪戯っぽい瞳を向ける。 「ならよかろう。それに、駄目だと言われても、もう遅いからな」 「……まさか父上」 不意に、嫌な予想に打たれてハウレーンがキッと顔を上げる。果たして、バレスは笑って言った。 「うむ、もう、ちゃんと巻いておる」 「え……?」 そう言って、みなが驚く暇もなく、バレスは鎧の隙間から服をめくり、腹に巻かれた毛糸の姿を覗かせた。 「それが、巻こうと思ったのだが固くてな。力を入れんと伸びなかったぞ」 苦笑するバレスに、しかしハウレーンは安堵も喜びもなく、それよりも違う感情にわなわなと身体を震わせる。 「〜〜〜っ、そういうことを人前でするところが! 嫌なんです、父上!」 そして、爆発した。その横でメナドは苦笑する。 「ダメですよ、バレス将軍。せっかくいい雰囲気だったのに……。そういうところ、デリカシーがないからハウレーンさんに嫌われちゃうんですよ」 「むう、そうか……」 俯いて腹をしまうバレス。その様にハウレーンの怒りはさらに激化する。 「なんでメナドの言葉には素直に頷くんですか!?」 「でも本当は好きなんですよね、バレス将軍のこと。今時手編みのプレゼントをくれる娘なんてそうそういませんよ?」 と、今度はレイラだ。その言葉にハウレーンの頬に血が昇る。 「あ、ハウレーンさん、照れてる」 「そうですね。ふふ……可愛いです」 「れ、レイラさんたちまで何ですか! みんなして私をからかうなんて――」 頬を赤くして、焦った怒りの声を上げながら。けれどどこか意識の隅でハウレーンは思っていた。 ――最近、こんなに声を上げて騒いだりしたことがあっただろうか? こんなつまらないことで一喜一憂することがあっただろうか? ふざけあうことがあっただろうか? 自分はいつも肩を怒らせてばかりではなかったか――? だから、じわりと涙がにじんだ。けれどそれは笑いと、怒ったフリの隙間に紛らせて。 「もう怒った。こうなったら、みんな斬り捨てる――!!」 そんなこんなで、9月15日は終わっていった。 他愛ない、父と娘と、そしてそれを囲む友人たちの一日。けれどもそれはハウレーンにとって、確かに特別な一日だった。夜、ベッドに横になって、ハウレーンはその思いを噛み締める。 「冬になるまでに、また何か作ってあげようか……な」 ――今度は、もっと上手に。 素直にそんな考えが浮かぶ自分を、当たり前に受け入れられることに、ハウレーンは微笑みが隠し切れなかった。 了 あとがき 2001.9.16.DHA |