わがまま姫と怠惰な女王

 



 それは、ほんの二百年ほどの昔。

 悠久の時の流れをゆったりと気だるげに過ごしながら、何をするでなく、目的もなく、感情というものの激しさも忘れてしまいそうになっていたころ。そんな時だった。炎のように激しい、あの娘と初めて出会ったのは。

「あんたが、カミーラ?」

 ぶっきらぼうに呼び捨てて、見上げてきた娘。まず目についたのはその燃えるような赤い髪だった。頭の上で結わえてなお、腰より下にまで伸びる美しく艶やかで豊かな紅。けれどそれに包まれているのはちっぽけな小娘の身体。そして見上げる眼差しは無遠慮で不躾で、赤い髪の娘は気性が激しい、といわんばかりのキツイ鋭さを宿していた。

「ちょっと、何かいったらどうなの。サテラの声が聞こえてないのか?」

 少しばかり観察していただけだというのに、その娘はせっかちに詰問してきた。サテラ、というのは娘の名か。自分のことを名前で呼ぶ癖らしい。そんなことを考えていると、娘の眉間にしわが寄った。やれやれ、忙しい娘だ。

「……聞こえている」

 仕方なく口を開いた。すると娘はびっくりしたように目を見開いて、

「なんだ、聞こえてるなら早く返事しろ」

 そんな風にいって口を尖らせた。

 くるくる変わる表情。仕草。私を恐れもしない無礼さ。けれどそれは好ましかった。我儘な性格はこの娘の美しさに似合っていた。そして私は美しい娘など嫌いだったが、この魔人は娘というよりもむしろ子供だった。

 そして何より、その姿。魔人には醜悪な怪物も多いが、この小柄な新参魔人はそうではない。しかも私と似た意匠のスーツに身を包んでいる。まるで私の子どもの姿を見ているかのようだった。
 だからだろうか。知らず、唇が笑みの形に歪んでいた。それは随分と久しぶりの感覚だった。





「それで、結局おまえは……何をしにきたの」

 私はカウチに腰を降ろすと、尋ねた。

「ん、言わなかったか? サテラは挨拶に来たんだ。カミーラが来ないからだぞ。ガイ様の呼び出しがあっただろ?」

 確かに、少し前に魔王ガイからの招集がかかっていた。しかし私はそれを当然のごとく無視した。魔人は魔王に絶対服従しなければならない。だがそれは面と向かってのこと。書状による通達など、効力はもち得ないのだ。それは魔王にしても承知のはずで、とくに現在の魔王ガイは横暴な専制君主ではなかった。それしきのことで私にお咎めがあるはずもない。そして割を食ったのはこの娘ということか。

「せっかくガイ様が、魔人を集めてサテラたちのお披露目をしたのに。来ない魔人がいるなんて信じられない。それで、他のヤツはいいけど、カミーラ、あんたには挨拶に行って来いってガイ様にいわれたから。だからわざわざサテラたちが会いに来てやったんだぞ!」

 ガイのやつ。義理堅いことだ。魔王が新しい魔人をひとり創ったとて、私に報告する義務などないというのに。そう思ってから、聞き流した娘の言葉がひっかかった。

「……サテラたち、と言ったな?」

 今目の前にいる騒がしい娘のほかに、まだ新しい魔人がいる、と。私が疑問を投げかけると、娘は頷いて背後を振り返った。

「うん。サテラが先に着いちゃったけど。もうひとり――」

 示し合わせたような完璧のタイミングで、戸口にシルエットが現れた。ゆっくり静々と進み出てくるその姿は、目の前にいる娘とは対照的に落ち着いた雰囲気を纏っている。その緑髪の娘は、赤髪の娘に並ぶと、完璧な作法にのっとって頭を下げた。

「はじめまして、カミーラ。このたび新たに魔人の末席に加わりました、ホーネットと申します……」

 一部の隙もない立ち居振舞いをしたその娘。それこそが魔王ガイの娘、半人半魔の令嬢、最後の24位を埋める魔人ホーネットとの初めての対面だった。





 最初の対面以来、ちょくちょくサテラは私の城へと訪ねて来るようになった。

 魔王城の外に自分の居城を持っている魔人は多くない。魔王から最も濃い血を与えられた吸血鬼たち――四天王と呼ばれる魔人、すなわち私、ケッセルリンク、そしてケイブリスだけだ。それぞれが魔王に次ぐ力を持ち、魔王を疎んじ、そして必要以上に他の魔人と馴れ合うことも好まない。ゆえにおのおのが己の城を構えて、魔王城に顔を出すことは滅多にない。ただ、四天王の中でシルキィだけは、片時も魔王城を離れようとしないが……それは例外だ。過去も四天王はずっと、おのれの城を持ち続けてきたのだから。城を持たないほかの魔人たちは、魔王城に住んだり、モンスターのように森や洞窟を住処としたり、それでなければ、気の合う四天王の城に身を寄せたりする。実際ケッセルリンクの城などは、彼の使徒であるメイドたちが身の回りの世話を焼いてくれるので、訪れる魔人が多いそうだ。
 けれど、私の城は来客など滅多に訪れたことがない。それは私が来客を好まないからであり、来客もそれを知っているからだった。だが、この新参者の魔人は、そんな暗黙の了解など無視してずかずかとあがりこんでくるのだ。
 ラインコックの制止を振り切り私の居室へとやってきたサテラは、ぼすんとクッションに腰を下ろすと爆発するように口を開いた。

「カミーラ! ねぇ、聞いてよ! シルキィったら……」

 そうして、洪水のように言葉を吐き出す。どうやら魔王城でなにか一悶着あったらしい。今の魔王城は魔王ガイを筆頭として、魔物らしからぬ品行方正で真面目な連中が多い。その中にあってサテラのような跳ねっ返りは、やはり居心地が悪いのかもしれない。
 サテラの言葉を聞き流しながら、私はただくるくると目まぐるしく動くサテラの表情を見るとはなしに眺めていた。サテラは私が相槌も打たず返事をせずとも、勝手に喋り続ける。そうして、発散させるだけ鬱憤を晴らすと、サテラは小動物のようにクッションの上で丸くなって眠り込んでしまうのだ。サテラが眠ってしまうとようやく、私は何かをしようかという気になる。ラインコックに湯の用意をさせたり、身繕いをさせたり、食事をしたりといったことだ。それが、いつものお定まりだった。

 その日もそんな具合で、サテラは言いたいことを言い尽くしてしまうと、クッションの中に倒れこんだ。けれどいつもと違ったのは、まだ何かいいたそうにチラチラと上目遣いでこちらを窺っていたのだ。

 なんのつもりだろうか。私は無言で、問い掛けるような視線でサテラを見つめた。それが上目遣いの視線と絡まって、サテラは意を決したように口を開く。それは予期せぬ質問だった。

「カミーラって、ホーネットのこと嫌いなの?」

 咄嗟に言葉は出なかった。その問いが意外だったとしても、私の重たい口を動かすほどではなかったということか。だが、それに答えるには、どちらにしろ思慮がいる。とりあえず、私はサテラの真意を確かめることにした。

「何故……?」

 言葉少なな問いかけ。けれどサテラはそんな私の怠惰にも慣れてしまったのか、それとも待ちきれなかったのか、すぐに口を挟んでくる。

「だって、初めて会ったとき……一言も口を利かなかったじゃないか。そりゃ、カミーラが無口なのはわかるけど。でもサテラとは話してくれたのに」

 ただ騒がしいだけの娘かと思っていたが、サテラはサテラなりに私を見ていたようだ。普段口数が少なく、感情を表に出すことをしなくなって久しい私の心の動きを察することが出来る者は、多くないのだが。勘が良い、ということなのかもしれない。
 我儘な光をたたえた瞳は、逸らすことなくじっと私を見つめている。半端なはぐらかしやだんまりで誤魔化すことはできなさそうだ。とはいえ、どのように答えたものだろう?

「…………」

「……………………」

 そうして、どれだけ長く無言の時が続いただろうか。私はようやく腹を決めると口を開いた。

「そのとおりだ」

 直截な肯定。私が選んだのはそれだった。

 私は確かにホーネットが嫌いだ。清楚で慎ましやかなたたずまい。さらさらと流れる長い髪からのぞく、鋭い知性の光をたたえた瞳。ほっそりと優美な長身は、均整の取れた女性のやわらかさを備えている。それは、美しい、という形容が陳腐なものに聞こえるような完璧なものだった。だが、まさにそれゆえに。ホーネットは私が嫌悪する美少女という存在の、もっとも完璧なる具現だった。そして、なによりも私が許せないのは…………彼女の目だった。
 前髪に隠れ片方だけしか見えないその目。そこには紛れもない――いわゆる正義の光があった。だが、正しいこととは何だ? ホーネットのその目は、すべて自分が正しく、お綺麗だと思っている目だった。それは、どんな外見的な醜さよりも、澄み切っているゆえにけがらわしい。私がなによりも虫唾が走る存在だった。

 そんな理由は言うつもりもなければ、サテラにわかるわけもない。

 サテラは私の返答がまるで聞こえなかったかのように無表情だった。けれど、それは一瞬のこと。

「そうか」

 顔を背けて。サテラは言葉を接いだ。

「でも、サテラはホーネットのこと好きだし、カミーラのことも、嫌いじゃない」

 そうして、それだけ言って、サテラは出て行った。最後まで、その表情は見えなかった。

 もうサテラは来ないだろうか。私は考えた。けれど、それならそれで、静かになってありがたいというものだ……。






 しかし、しばらくするとまたサテラはやってきた。

 それはちょうどあの手紙が届けられた日だった。両手で広げて持たなければならないくらい巨大な手紙を、ラインコックが読み終わったちょうどその時、廊下の奥から赤いポニーテールがゆらゆらとやって来た。

「サテラ様。また勝手に――」

「別にいいでしょ! ラインコックは気にするな! カミーラは怒ってないんだから……」

 そう言いかけて、サテラはびくりと躰を硬直させた。その視線は、私に固定されている。ああ、そうか。私はそんなに怖い顔をしているのか。そんなことをぼんやり考えていると、

「あの、サテラ様がカミーラ様のご気分を害されたわけじゃありません」

 くしゃくしゃにした手紙をゴミ箱に詰め込みながら、ラインコックが取り成すように言う。

「あの、カミーラ様。美味しい紅茶がありますから……サテラ様にも、おいれしてよろしいですか?」

 手を振って許可を与えると、ラインコックはスカートを翻してぱたぱたと部屋を出て行った。残ったのは私とサテラ、ふたりきりだ。

 サテラはクッションのひとつを探ると、神妙に腰を下ろした。私が無言でいると、ぽつりと言葉を漏らす。

「また、喧嘩しちゃった」

 照れ臭そうに、口元だけで笑いながら。けれど、私にはそんなことはどうでもいい。

「何故、私のところへ来る?」

「……だって、あんな喧嘩して、魔王城にいられないもん」

「ケッセルリンク……」

「気障おじさんはお説教するからイヤ! いちおう話は聞いてくれるけど、絶対『けれども、あなたにも反省するべきところがあるとは思いませんか、サテラ?』とか、最後にいうんだもん」

 いかにもケッセルリンクがいいそうな台詞を口真似するサテラが微笑ましい。けれど、そういうことではないはずだ。おまえはあの娘の、ホーネットのところにいなくてもいいのか。つまらない喧嘩をしたからといって、私のような者のところになど、来てもいいのか。そう尋ねたかったのだ。しかしこの赤毛の娘は、そんな私の胸中を知ってか知らずかコロコロと表情を変えながら私に笑みを向けていた。

 私は、ひとつ溜息をついて尋ねた。

「私なら、いいのか?」

「うん。いっただろ。サテラは、カミーラのこと、嫌いじゃない」

 だからそれは答えにならないというのに。でも、それがこの子の魅力なのだと、あの初めて出会った日に気付いていたではないか? ならばそう、それが気まぐれだとしても、それでいい。

「……そう」

「好きにしなさい」

 だから私は、自分でも驚くほどの穏やかな声で、そう答えたのだった。






 それからまた、月日がたち、年月が過ぎた。季節が移ろい幾年が過ぎようとも、永劫の時を生きてきた魔人にとっては、まばたきするほどの時間。そして代わり映えのしない時間。だが、たとえ意識していないものであっても、確実に時は過ぎ去っていると感じさせられることがあるものだ。

 その日の来訪者は、いつもの赤毛の小娘ではなかった。薔薇の香りを漂わせ、カツカツと規則正しい靴の音を響かせてやってきたのは、気障ったらしく気取った吸血鬼だった。

「ご機嫌麗しゅう……カミーラ」

 紳士らしく礼をして、弾みで乱れた金髪をかきあげる。豊かでまばゆいその髪をひきたたせるように、その身を包むスーツは黒。しかし華やかさを失うことを拒否した裏地は、豪奢な緋色に染められている。四天王のひとりケッセルリンクは、魔人随一の洒落者だった。

 普段私と同じように自分の城にいる彼が何の用で来たのか興味はなかったが、ケッセルリンクの方は、何か気になることでもあるようにちらりと辺りに視線を巡らせた。

「今日は……私以外に来客はないようですね」

 何が言いたい。無言で尋ねると、ケッセルリンクは指の端で眼鏡を持ち上げて首を傾げる。

「いえ……最近、あの新入りの小さなレディをお気に入りだと聞きまして」

「ふん……」

 私が肯定も否定もしないと、ケッセルリンクは言葉を続けた。

「他の魔人を滅多に城へ入れない貴女が、珍しいこともあるものですね。……もっとも、あの怖いもの知らずのサテラが、勝手にここに入り浸っているだけなのかもしれませんが」

 ああそうだ。あの娘はいつでも気ままにここにやってくる。不意にそう言ってやりたい衝動に駆られたが、その気まぐれに許可を与えたのは私だと気付いて、思いとどまる。そうして代わりに、私は無駄口をつぐませてやることにした。

「……世間話だけか……?」

 すると、途端にケッセルリンクは真面目くさった顔つきになる。眼鏡と前髪をもてあそんでいた指を止め、姿勢を正して私に向き直った。そして、重々しく口を開く。

「…………もうじきに、千年が経ちます」

「…………」

 その一言。それだけで、お互いが意味を理解した。千年。それは魔人にとって――いや、世界にとってひとつの区切りである。なぜならば、魔人を従え世界を統べる絶対無敵の魔王、その魔王にとってたったひとつあらがえぬものが、おおよそ千年という寿命だからだ。

 現在の魔王、ガイがその位についてからもはや九百年以上の歳月が経っている。ある程度の幅はあるが、早ければ数年、遅くとも数十年の後には魔王が交代することになる……。

 だが、だからどうだというのだ。次代の魔王が誰になるかなどということは、われら魔人が決められることではない。その決定には抗えぬ。そして誰が魔王になろうとも、私には何も変わらない。

 充分に長い沈黙を破って、私は口を開く。

「私には関係のないことだ」

 同じように長い沈黙を辛抱強く待ち続けたケッセルリンクは、そのかいがあった、とでもいうように頷いて目を伏せた。

「それだけ聞ければ、充分です。……ですが、否応なく巻き込まれるやも知れませんよ。魔王様は何か……私たちには計り知れないことを考えていらっしゃるようです。前回の魔王交代――魔王戦争よりも、波乱の予感がします」

 最後に、優雅にうやうやしく礼をして、ケッセルリンクは去っていった。私の胸中に、小さな染みのような不安と苛立ちを残して。






 けれど、それでいきなり日常が変わるわけではない。私はまた、数え切れない歳月を過ごしてきたのと同じように怠惰な日々に浸かり、過ぎ行く時を横目で眺めていた。

 サテラは、相変わらずだった。気まぐれに私の城を訪れ、時には何日も居座ってみたり、来ない時は一年以上音沙汰がなかったりした。けれども魔人になって日の浅いこの子にとって、魔王交代は初めてのこと。何年もが過ぎ暦が千年に近くなると、他の魔人やモンスターたちがその時期について囁き始める。その頃になってようやくその意味を悟ったか、サテラはぼんやりと考え込んだりするようになった。


 そんな折、私はひとつ戯れを思いついた。

 初めてサテラと出会った時のこと。あの時思ったサテラの印象にしたがって、私はその戯れを計画した。無論、実際にそれを用意するのはラインコックだが、そんな考えを実行することができるとは。私は自分自身に半ば呆れと驚きを感じつつ、機をうかがった。

 それからほどなくして、その機会は巡ってきた。またサテラがへそを曲げて、私の城へやってきたのだ。原因はいつものこと……シルキィとやりあったそうだ。といっても、サテラのほうが言い負かされたのだろうが。

 いつものように、言いたいことをぶちまけてしまって、ふてくされた顔で座っているサテラ。その子に、私は声をかけた。

「サテラ」

「なっ、なに?」

 サテラは、雷に撃たれたかのように、びくっと身体を跳ねさせた。なんて驚きよう。けれど、そうか。思えば知り合ってから二百年もの時が経っていたが、私から声をかけたのは、それが初めてだった。

 驚きに身体を強張らせているサテラ。どことなく、警戒しているような様子でもある。この傍若無人な子のそんな仕草が見られただけでも戯れの意味はあったか、などとわずかに思いながら、私は次の言葉を紡ぐ。

「……良いものをやろう」

 傍に控えるラインコックが、言葉に先回りしてその品を持ってきた。綺麗に包装された平たい紙箱。私の知らぬところでご丁寧にリボンまでつけられたそれは、戯れには仰々しいほど、贈り物としての体裁を見せていた。

 そっと手渡される包みに、サテラは目を瞬かせてきょとんとし、それから、

「開けても……いいのか?」

 小首を傾げて、そう尋ねてきた。頷いて促してやると、サテラはパッと目を輝かせて包みを破りにかかった。そうして出てきたのは……

「わ、これ……服! サテラの服?」

 それは私のものよりふたまわりほど小さい、全身を包むタイプの紺のボディースーツ。ところどころに魔法石をあしらって、白のラインがアクセントになっている。

「そう。私のものと同じ……人間の世界で作らせた」

 魔人、ことに人間型の魔人は、よく人間の作ったものを使う。酒などの嗜好品や身を飾る宝石の類い、また衣服などもそうだ。人間など魔人にとっては家畜のようなものだが、こと物作りに関しては、人間どもの右に出る生物はいない。力仕事ならともかく、低能なモンスターでは織物などかなわない。魔法国ゼスの服は、魔力を操る我らにとっても都合の良いものだった。私自身の衣服も、そうしてゼスの店に特注して作らせているものだ。だが、使徒を持たず経験も浅いサテラはそういう小細工も知らないだろう。見事な赤毛はいつも綺麗に手入れされていたが、身にまとうものといえばいつも同じ、飾り気のない黒一色のレザーだけだった。

 だからよほど嬉しかったのだろう。サテラはさっそく服を引っ張り出すと、胸の前で広げてみたりする。そしていてもたってもいられなくなったのか、ねだるような顔を向けた。

「着てみてもいい?」

 もちろんだ。目線でそれを伝えて、しかしサテラはその場で服を脱ぎだしかねなかったから、慌ててラインコックが隣の部屋へ連れて行った。

 カウチにもたれたまましばし待つ。けれどあの勢いでは……

「カミーラ、カミーラ!」

 そう思う暇もあればこそ、サテラはあっという間に私の前に戻ってきた。くるりとまわって、手を広げてみせる。髪がふわりと舞っておさまったあと、サテラはにっこりと破顔した。

「ぴったり!」

 スーツはサテラの小ぶりの身体をぴっちりと包み、胸と肩を守る白のプロテクター、それとヒールのあるブーツがその上につけられている。それは黄色や緑に光る魔法石などと相まって、黒尽くめのレザースーツとは違う印象を与えた。黒は高貴、人を寄せ付けない傲慢さを感じさせたが、今のサテラはその赤毛に相応のわがまま娘だった。それは私の望むところだったから、率直に感想を述べた。

「……似合っている」

「えへへ。今の服も気に入ってるけど、こっちの方が動きやすいぞ。戦いの時なんかには、こっちを着ることにしよっと」

 そういって、サテラはぶんぶんと腕を振ってみたり、身体を捻ったりした。ほんとうにくるくるとした娘だと、あらためて思う。ひとしきり試してみて、サテラはもういちどぴんと姿勢を正すと、じいっとこちらを見つめてきた。

 何だ? 私は一瞬戸惑って、けれども私が声を出すよりも先に、もじもじしていたサテラは恥ずかしそうに口を開いた。

「カミーラ……その、ありがと」

 そんな、短い感謝の言葉。けれどもそんな言葉を他人から聞いたのはいつ以来だろう。しかも、わがまま娘の口からの思いがけない素直な言葉だ。私はしばし言葉を失った。けれどサテラは、返答のない私に不安そうな――不服そうな眼差しを投げかける。ああ、わがまま姫の在り難い言葉には、こちらも相応の言葉を返さねばならぬ。だがそれは好ましい。それでこそサテラという魔人だ。だから私は、私自身驚いたことに、微笑さえ浮かべながら、こう答えたのだった。

「構わない」





 けれどもそれが、魔王ガイが死ぬ前にサテラと最後に交わした言葉となった。魔王ガイの死後、継承者のリトルプリンセスは君臨することなく逃亡。次代の魔王をめぐって、魔人は二手に分かれて争うこととなる。魔王ガイの遺志を継ぎ、あくまでもリトルプリンセスを魔王とすべく行動するホーネット。対して、リトルプリンセスを殺して自ら魔王とならんとするケイブリス。両者が軍を動かし、魔人界全体が戦乱に巻き込まれることになった。魔人たちはそれぞれ、欲望、義理、打算、怒り、憎しみ、様々な理由でどちらかの陣営に属していった。

 サテラは、幼馴染であるホーネットと、その父親ガイへの義理から、当然のようにホーネット派に加わった。

 そして私は……悩んでいた。

 ホーネットが掲げる人間との共存、ケイブリスが望む魔人が支配する世界、どちらも私は興味がない。どちらに転んだとしても、私の生き方は変わるまい。自分の城でベッドに寝そべり戯れに少年の血を啜ったり、月夜に翼を広げて気ままに空を飛び回ったりするだけだ。

 それならば、傍観を決め込むのも悪くないかもしれない。魔王亡き今、四天王である私に命令できる者などいない。無理にケイブリスかホーネットに組する必要はないのだ。

 だが。

 それでも、どちらかを選ばねばならないだろう。これは機会でもある。

 ケイブリス……あの浅ましい醜悪な怪物。もしホーネット側につくならば、私に懸想などと勘違いをした、あの下等なけだものを思う存分叩き伏せることが出来るだろう。そして恐らくケイブリスにつくであろう、レッドアイやバボラといった癇に障る馬鹿どもを葬ることさえ出来るかもしれない。

 しかし逆にケイブリスの陣に入るならば、ホーネットを敵にまわすことになる。ホーネット……あの取り澄まして自分だけが正しいと思っているような、お高くとまった小娘を、破滅させることが出来る……。そしてシルキィ、いつもガイにくっついていた、あのうるさいヤツも黙らせることが出来るだろう。

 そして、私は決断を下した。ほんのわずか、あの騒がしい赤毛の子が心に浮かんだが、それよりも大きな憎しみがそれをかき消したのだ。

「……馬鹿な子」

 私と来れば良かったのに。あの娘が自由になれるのは、魔人の支配する世の中だけだ。あの子が生まれてさえいなかった千年以上前に世界がそうだったように。

 けれどあの子は、何の疑いもせずに人間と共存の道を選ぶという。それは無知ゆえの愚かさで、そして可哀想なことかもしれない。魔人は死なない。けれども不自由で息の詰まる世界で生き続けることは、死よりも意味があると言えるのか?

「でも、私も愚か……だわ」

 弱者と共存する世界を否定するということは、弱肉強食を肯定するということ。だけれど千年前と今とは、状況が違う。それは私自身の命を賭けに委ねることだ。恐らくは勝ち目のない賭けに。それがわかっていて、それでもなお進むとしたら、それはサテラのような無知ゆえの無軌道よりも愚かなことではないか?

 だが怠惰で享楽を貪るのが、私、魔人カミーラだ。難しく考えたり、計算高く用意周到に立ち回るなど、性に合わない。心の赴くままに、最期の瞬間までゆくとしよう。たとえそれが愚かな道のりだとしても。

「ラインコック」

「はい、カミーラ様」

「出るぞ。私はケイブリスにつく」

 ラインコックは、一瞬驚いて動きを止めた。が、すぐにふわりと礼をする。

「カミーラ様がそうお決めになられたのでしたら……」

「いってらっしゃいませ」

 ラインコックの見送りの言葉を背に、私は翼を羽ばたかせた。そして私とサテラはその道を分かち、敵同士になったのだった。そしてその道は私が滅びるまで、二度と再び、交わることはなかった。



 


 あとがき

 掲示板でのOOTAU1さんの疑問を元にしたお話です。「サテラとカミーラの胸の紋章が似ているのは何故か? ふたりは関係があるのではないか?」ということなのですが。私の答えはこの通り。

 カミーラ様は、書いてても何を考えているのか今ひとつよくわかりません。男のような断定口調から、お姉さま言葉まで喋り分けるくせに、ほとんど喋らないものだから台詞が書きづらいし……。しかしあれです。「紅蓮」にはとてもかないませんね。難しいキャラです。

2003.5.13 

 追加あとがき

 ランスVIで織音リファインされてしまったので、このSS自体成り立たなくなってしまいましたねぇ……。サテラのデザインも変わることですし、どうなることやら?

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