リーザスの名花たち

 

 

 その夜。レイラ・グレクニーは兵舎の食堂でひとり考えごとに耽っていた。もう春の陽気で、開け放たれている窓から吹き込む夜の風も冷たくはない。やわらかい風がくせのある赤毛を撫でる。美しい女性ばかりで構成されたリーザス親衛隊、その隊長であり、リーザス国中でも二番目の剣の名手である美女のレイラ。その彼女が物思いに沈むさまは、それを見る男に溜息を吐かせるに充分な光景だった。

 その時たまたまその場に入ってきたメナド・シセイも、レイラのどこか遠くを見詰めるような横顔に一瞬どきりとして、それからほうっと溜息を吐いた。けれどもそれは男どものものとは少し違う。純粋な憧れと、少しばかりの羨望と、諦めにも似たわずかな嫉妬の入り混じった感情が、その溜息には含まれていた。無意識にメナドは自分の後ろ髪に手をやる。少年のような短い青い髪は、メナドがレイラのような女らしさからは遠いことの証明のようだった。

 けれども、そんな感情はすぐに振り払って、メナドはレイラに話し掛けた。

「レイラさん、こんばんはっ」

 するとレイラは、ちょっと驚いて、それから自分がどこにいるのか思い出し、メナドに笑顔を向けた。

「こんばんは。いい夜ね……少しぼうっとしていたみたい」

 目線で了解を取り付けて、メナドはレイラの向かいの椅子に腰を下ろした。

 ふたりは、同じリーザス騎士団の将軍の中で三人しかいない女性騎士で、男が男で群れるように、女性同士何とはなしに仲が良くなっている。五つの年の差と、メナドがレイラに寄せる尊敬とは、良き姉貴分、元気な妹分という役割に、自然と収まっていた。

「レイラさんがそうしてるのって、珍しい気がしますけど……」

 メナドは手を組んで、傾げた首をその上に乗せた。

「何のことを考えていたのか、当てて見せましょうか?」

 年相応の少女の顔で、悪戯っぽく笑って言うメナドに、先程までしっとりとした雰囲気を醸し出していたレイラは突然取り乱した。

「えっ……! あ、その、なんでもないの、つまらないこと――」

 その様子に、メナドは目を瞬かせる。

「えっとぼくは……レイラさん、てっきり、かなみちゃんが連れてきた人のことを考えてたのかと思ってたんだけど――違ったん……ですか?」

 覗き込むように尋ねるメナドを見て、レイラはやっと居住まいを正して、ひとつ咳払いをした。

「う、ううん……そう、そうなの。ランス君のこと、ちょっとね」

 その言葉は今さら到底事実には聞こえなかったし、レイラ自身実際別のことを考えていたけれど、メナドはそれ以上追求する気にはならなかった。それよりも、いつも凛として非の打ち所のない女性に見えるレイラの意外な可愛らしい所作に、憧れや尊敬に加えて新たに親しみを覚えて、メナドは少し頬をほころばせた。

「それで、ランス君は、もう意識を回復したのかしら……?」

 照れたような笑いを浮かべて、レイラは逸らした方向に話を続けた。

「さあ、まだだと思いますけど……だいたいそれはレイラさんのほうが良く知ってるんじゃ?」

「そう……ね、リア様はランス君に付きっきりだから。うちの子も交代でずっとリア様の部屋の前にいるわ」

 レイラの言葉に出てくる男の名、ごく自然に呼ぶその名が気になって、メナドは少し躊躇いがちに尋ねた。

「レイラさんって、その――ランスさん、と一緒に戦ったことがあるんですよね?」

「ええ。メナドさんはランス君と会ったことなかったかしら?」

 メナドはふるふると首を振った。

「ぼくはもっぱらリック将軍から聞いた話ですよ。ふふっ、リック将軍、まるで自分の自慢話みたいにその人のこと、言うんです。すごく強い人だって。自分のことはいつも謙遜ばかりしてるのに」

 レイラは少し目を細めた。メナドの着る赤の軍の鎧が今は少し眩しく映る。メナドがレイラに憧れを抱いているのと同様に、レイラもメナドを羨ましく思う時はある。今が多分その時だった。

「それで、ぼくも一度でいいから手合わせしてみたいな、って思ってるんです。もしよかったら……レイラさんから、頼んでもらえませんか?」

「うーん、メナドさんなら多分……」

 そこまで言いかけて、レイラはしばし考えた。確かにメナドが手合わせを頼めば、ランスは受けるだろう。しかしそれが別の手合わせへと発展することも、また確かな気がした。そう考えて、ちらとメナドに目をやる。けれどもそのきらきらした目は純粋に剣の強さへの憧れに満ちていて、それにはレイラは弱かった。

 困ったレイラは、助けを求めて目を逸らした。その視界にちょうど入ってきたのは、白い鎧だった。

「あ、ハウレーンさん」

 その声にハウレーン・プロヴァンスはふたりを認めて、きびきびとした足取りで近づいて来た。歩調に合わせて、後ろで結わえた長い桃色の髪が規則正しく揺れた。彼女が女性であるリーザス将軍の三人目だ。

「レイラさんにメナドも……どうかしたんですか。おふたりだけなんて珍しい」

 女性としては高い、170cmの高みから見下ろしてハウレーンは言った。

「たまにはね……。女同士だけというのも、いいんじゃないかしら」

「今、あのランスっていう人のことについて、ちょっと話してたんですよ」

「ああ……」

 メナドの言葉に、ハウレーンはなるほどと言う顔をした。そしてふっと唇を緩めた。

「私も加えてもらっていいか?」

 ふたりに「もちろん」と言われて、ハウレーンも椅子のひとつに腰を下ろすと、女性たちのささやかな会談が始まった。

「あの男についてなら、私も知りたいことがあります」

 ハウレーンはそう切り出した。レイラは少し驚いた顔をした。

「バレス将軍から聞いていらっしゃらないんですか?」

 黒の軍将軍でありリーザス全軍をまとめる総司令官であるバレス・プロヴァンスが、ハウレーンの父親なのだ。そしてバレスはランスと面識がある。しかしハウレーンは首を振った。

「父ひとりの言葉だけでは、やはりわからないものです」

 そして同意を求めるように、メナドを見た。メナドもうんうんと頷く。

「ぼくも、リック将軍の言うことを信じていないわけじゃないです。でも少し……その、主観的過ぎるかなって。たいてい自慢話みたいになっちゃいますから」

「父のなかでは、ランスという男はもう英雄になってしまっていますよ」

「そんなこと言っても、私が話せることだって、私の感じたことだけですよ」

「構いません。父の意見なんかより――いえ、レイラさんの言葉なら。それに、ひとつよりはふたつの意見を聞いたほうがいいでしょう」

 ふたりに迫られて、レイラは観念して肩を落した。

 確かにレイラはバレスやリックでは語ることの出来ないランスを知っている。しかし、かといってありのままを話すことはどうだろう。レイラは自分を見詰める二対の瞳をかわるがわる見た。

「話します。話すけど……真偽の程は保証しませんからね。自分たちで確かめて下さい。いいです?」

 結局、ランスのありのままを伝えるのは無理だとレイラは判断した。正確に言えば、ありのままを伝えても、ランスの良さというものを理解してもらえるかどうか自信がなかった。なにしろ初めて会話を交わしたのがベッドの中だという出会いからして、第一印象を植え付けるには悪すぎるのだ。特にこのふたりには。

「私が初めてランス君と出会ったのは、ランス君が私を魔人アイゼルの催眠術から助け出してくれた時で――――」

 そうして、レイラは話し始めた。もちろん、要所はぼやかしながら。それにふたりが質問を差し挟みながら、女三人はその男――ランスについて、語り合うことになったのだった。さざなみのような笑いや、驚きのうめき、感心する溜息が、ひととき食堂の一角を支配した。それはどちらかといえば、ランスという話題をだしにした女性たちのお喋りという形になっていった。

 知らぬ間に時間が経ち、時計が真夜中を告げると、まずハウレーンが腰を上げた。

「さて、そろそろ私は失礼するとします。随分と話し込んでしまった」

「わ、もうこんな時間? ぼくもお暇します。明日も朝から部下の訓練をする予定になっているんですよ」

 メナドも続いて席を立つ。

「そう。私は一度リア様のご様子をうかがって来ようかしら……」

 最後にレイラが立ち上がった。

「それでは、また明日」

「おやすみなさい」

「ええ、おやすみなさいふたりとも」

 そうして女性たちの小さな会談は終わりを告げた。





 ハウレーンは、ひとりになると小さく溜息をついた。レイラもメナドも、ハウレーンにとっては貴重な友人だ。しかし彼女たちほど素直にその男に興味を持っているわけではない。それは彼女の心を占めている問題が原因だ。このところ、――そう、ハウレーンが騎士となりそして白の副将という地位に登りつめてから――父バレスとのいさかいが絶えないのだ。結果、その父の口から聞く言葉に、いちいち疑いの眼差しを向けることになってしまっている。

 これがきっかけになればいい、とハウレーンは思った。もしもそのランス某とやらが自分も尊敬できる人格者だったとしたら、まだまだ父も捨てたものではない、と思えるに違いない。けれどももしも父の眼が曇った証明だとしたら――。

 ハウレーンはきゅっと唇を引き締めると、足音高く城の廊下を歩いていった。





 赤い鎧を脱いでベッドに身体を放り出すと、メナドはしばしじっと脱いだばかりのその鎧を見詰めた。それは彼女にとって誇りとコンプレックスの矛盾した塊だった。時々、ひとりでそれを眺めていると思い出す。けれども、今はメナドの心からはコンプレックスの影は姿を潜めていた。

 だから、メナドの心は自分の興味へと向く。自分の尊敬するふたりの剣士、レイラとリックが共に認める男について。けれども、いちばんの友達のかなみが、ランスのことをあまり喋りたがらないのはわからないが――。

 少しばかりの疑問と大きな期待を抱きしめながら、メナドは目を閉じた。





 またひとりきりになって、レイラは物憂げな視線を夜空に投げかけた。星の瞬きが映すのは、ランスの顔ではない。けれども、そう、彼が心に入り込んできたのは、確かにランスと出会った頃。躰を預けた男ではなく、そんなことを考えもしなかった男が逆に気になる。それは皮肉と笑うべきなのか、それとも……感謝するべきだろうか? 自分が知らなかった感情――恋というものに気付かせてくれた、と。

 そして、三度ランスとは再会することになった。それはレイラには暗示的なことに思われた。一度目、二度目……ランスとの出会いのたび、確実にレイラは彼に惹かれている。それならば今回はどうなるのだろうか――。

 そんな不安と期待のないまぜになった気持ちの中、期待のほうが大きいことに気付いて、レイラはひとり顔を赤らめた。





 三者三様の思いを胸に抱きながら、夜は更けて行く。

 ランスが目を覚ますのは、これより二日後のこと。

 リーザス軍を彩る赤、白、金の名花たち。その運命は、このひとりの男によって変わって行く。それが幸福、不幸いずれの道となるかはまだわからない。けれども、その夜すでに運命の歯車は回り始めていた――




To be continued to 鬼畜王ランス













 あとがき

 TOP絵を描いてそれを見ていて、ふと思い付いて速攻で書いたSSです。特に誰に焦点を当てるでなく、こういうのも面白いかな、と。それに、イラストにSSを付けるのってやってみたかったんですよね。初めての試みですけど、いかがだったでしょうか……?
 ところで、最近妙にこの三人が好きです。いつもメナド視点で考えているせいか、親近感があるんでしょうかね(笑)。

2000.11.9 DHA

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