神秘的なほどに静まり返った森の中。人間からクリスタルの森の名で呼ばれる森である。そこはカラーの聖域であり、特殊な魔法の結界によって清浄な気と魔力に満ちていて、下等な魔物の存在を締め出している。感じられるのは無害な小動物の営みや木々の間を風が吹き抜ける音だけ。そんな中を、ひとりの少女が歩いていた。
「……パーパ、どこにいるのかなぁ?」
きょろきょろとあたりを興味深げに見回しながら、とことこと歩みを進める。人間で言えば5・6歳といったところ、しかしきれいな青い髪の下から尖った耳が突き出し、前髪に隠れるようにして額に輝く赤いクリスタルが覗く。カラーの少女だ。人間と比べると成長の速い種族なので、実際の年齢はまだ1・2歳か、もっと幼いかもしれない。
「パーパ、りせっとにあいにきてくれるってやくそくしたもん。すぐそこまできてるんだよ」
そう呟いて、元気にまた足を踏み出す。そう、少女の名はリセット・カラー。クリスタルの森を治める女王、パステル・カラーの一人娘である。そして彼女が探している「パーパ」とは彼女の父親、人間の国のひとつリーザスの王、ランスなのだ。つまりリセットは国王と女王の間に生まれた娘なのだが、そんな彼女がなぜ深い森の中をひとりで歩いているのか。その理由を説明するには少し時間を遡る。
「ね〜、ママ。パーパ、いつくるの?」
クリスタルの森の奥深く、カラーの村の中心にある女王の館。女王が住むには質素過ぎる素朴な小屋だが、その中でリセットは母親のパステルと暮らしている。そしてその時もリセットはいつもの質問をパステルに投げかけていた。
「ねぇ〜、ママ〜。パーパいつくるの〜?」
子供特有のしつこさで、同じ事を何度も尋ねる。それだけリセットにとってはランスに会いたくて仕方がないという証明なのだが、聞かれるパステルの方はいいかげんうんざりしていた。ちょうど女王の仕事について考え事をしていたのもいけなかったのかもしれない。
「もうすぐ来ますよ、リセット」
声には感情を出さずにパステルは答える。
「もうすぐっていつ〜?」
「もうすぐは、もうすぐよ」
実際、数日中にランスの部隊が到着するであろう事がパステルには知らされていた。ただしランス率いるリーザス軍が魔人領へ進軍するついでとしてなので、戦況によってはズレが生じるかもしれない。パステルは「もうすぐ」を繰り返すしかなかった。そんな対応にリセットは小さなほっぺたを膨らます。
「むぅ〜う〜。…それじゃあ、もうむらのちかくまできてるかなぁ?」
それまでと一変して、距離に質問を転じるリセット。幸か不幸か、その時パステルは既に考えることなく相槌をうっている状態だった。
「うん、そうかもしれないわね」
その意識されずに言われた返事が、リセットの心に深く刻まれ、そしてその決心をさせたのだった。
(パーパにあいにいこう!)
その夜、リセットはそっとベッドを抜け出すと、抜き足差し足家を出る。母親パステルは疲れているのかぐっすりと眠り込んでいる。
(ん〜と……?)
家を出ると、きょときょととあたりを見回すリセット。次期女王として箱入りの極みに育てられた彼女にとって、村の中でさえ家の外はまだまだ未探検の領域が多い。しかし村の中は静まり返っていて、灯火もほんのまばらに数えるほどしか見当たらない。人間社会との友好が確立しても、もともと文明から隔絶された地であるこの村は、陽が落ちるとその活動を止め、真っ暗闇になってしまうのである。その晩は月が空にかかり、闇を照らしていたが、リセットの小さな影を気にとめる者はいない。それを確認すると、リセットはとてとてと歩き始めた。
「こっち、かな〜?」
その小さな足は運悪く彼女の求める父親とは全然見当違いな方向に向いている。そしてさらに間の悪い事に、リセットの小さな身体は、カラーの村をぐるりと囲むリーザス警備陣の警戒の目を潜り抜けてしまったのだ。それはひとつには警備の兵が主に村の外からの危険に注意を払っていたからであり、ひとつにはたまたまその警備の兵のひとりが美しいカラーの娘に見とれていたからであった。ともあれリセットは生まれて初めて村の外という未知の世界へ踏み出す事になる。
さて、あてどもなく月明かりの差す森の中を彷徨っていたリセットであるが、何しろ初めての外の世界である。その興味は尽きなかった。一歩足を踏み出すごとに、その父親譲りの茶色い目が好奇心に輝き、そして次の一歩を踏み出させる。そんな調子で疲れも見せず、いつしか時間も忘れるほど歩みを進めた時だった。
……ざわぁっ!
その一歩を踏み出した時、周囲の雰囲気が変わる。
「うにゅ……きもちわるいよぅ……」
それは今踏み越えたのが結界の魔力が及ぶ境界だったことを意味していたが、無論そのようなことをリセットは知る由も無い。ただリセットはそれを漠然と嫌な感覚として感じた。その長い耳がぴくぴくと動いて縮こまる。しかししばらくそうしていても、目に見える変化は何も起こらない。リセットは注意深く周囲を見回すが、やはり今までの森の中との違いはわからなかった。
「……?」
自分の感じた悪寒の意味を計りかねて、小首を傾げる。しかしそうしていても自分の目的には少しも近づかない事を思い出して、リセットは再びその小さな足を踏み出した。だがその方向は、魔人が支配する魔の森へと向かう方向だった。
しばらくはまた似たような景色が続いた。静かにさざめく森の木々、その合間を縫って差し込んでくる月光がリセットの足元を照らす。だが少しずつ少しずつ、リセットの旺盛な好奇心でも気がつかないほどに、森はその影を広げ、闇の部分を多くする。そして気配を微塵も隠そうともせずにずんずんと進むリセットを嗅ぎ付けて、暗闇に蠢く影が増えていった。そして彼女が気付いたときには、既に手遅れだった。
「きゃっ」
リセットの目の前にそれが現れた。今までリセットが目にした事の無い巨大な身体、凶悪な顔つき、鋭く尖った爪や牙。モンスターの一団が、気付かないうちにリセットの周囲を囲んでいる。しかし一瞬驚いたが、リセットはそれに目を輝かせる。
「あは〜、しゅごい。とげとげ」
箱入り娘として育てられてきたリセットにとっては、それはとても好奇心を刺激するものだった。本の挿絵などで見た事があり、それが危険なものと教えられていても、自分で実際に経験してみないと子供にはわからない。だからリセットはこういうものを一度見てみたいと思っていたのだった。警戒心のかけらもなくモンスターに近づく。だがその無邪気な笑顔はほどなく泣き顔へと変わる事になる。
「ガアッ!!」
モンスターの腕が振り上げられ、近づいたリセットを掠めた。その勢いでリセットは尻餅をつく。腕がちくりと痛んだ。見ると袖が破れ、その下から覗く柔らかい肌に、一条の傷が出来ていた。モンスターの爪がつけたのだ。その傷からじわりと血が滲み出してくる。その事実が徐々に頭で理解され始める。それと同時に、目の端から涙が溢れ出てきた。
「うぅ……ぐしゅ……う、ああ〜〜〜〜ん!!」
大声を張り上げて泣き出すリセット。しかしそれはモンスターにとって何の意味もなさない。それどころかさらに多くのモンスターをひきつける結果となった。
「うあ〜〜〜〜ん! パーパ〜〜っ!!」
近くにいると信じている父親の名を叫ぶ。まだ子供のリセットにとってランスは自分の絶対の守護者であり、どんなことであろうとその名を呼べば解決すると信じているのである。しかしそれがランスの耳に届く事は無い。親が全能の神に思えるのは自分がその庇護のもとにいるからであり、そこから離れてしまったリセットにランスは何の救済の手も差し伸べられないはずであった。しかしその時、リセットにとっては当然とも言うべきタイミングでその声が聞こえた。
「そこにいるのは誰だ!?」
モンスターの背後の暗闇から、大きな声が響く。リセットとモンスターが一斉に反応する。
「パーパっ!?」
しかし涙に霞んだ視界は、闇に紛れたその男の姿を映さない。ただ力強いその声が、リセットを安心させた。
「子供か…? 何故こんなところに。だが、とにかくたすけねばな」
そう言う男に向かって、数頭のモンスター達が一斉に襲い掛かる。
ドガッ!バキッ!!
肉体がぶつかり合う音が響く。リセットが涙を拭って泣き止んだ頃には、モンスター達は跡形も無く駆逐されたあとだった。
「カラーの娘か…。さて、どうしたものか」
男がリセットに向かって歩み寄る。その身体には傷一つ無かった。屈強な鍛え上げられた筋肉に太い腕、頭は髪が一切無い坊主頭。その男はカイトであった。魔人カイト。人間の恐怖であり、リセットの父親ランスが戦いを挑んでいる魔人のひとり。しかしカラーの少女を見るその目には優しげな光だけが輝いている。
「ああ、おちびさん、大丈夫か?」
「うえっ、グスっ……」
カイトは自分のいかつい外見が決して女子供に好かれるものではない事を充分に理解していたので、リセットが顔を上げた時また泣かれるのではないかと思わず身構えた。
「……おじちゃん、だぁれ?」
だが、リセットの反応は予想とは違っていた。もとから真っ白な心で育っているリセットは、外見で人を判断するという事がない。さっきは怪我の恐怖で泣いていたのだが、カイトの顔自体はリセットに何の感情も呼び覚まさなかった。カイトは軽い驚きを隠してリセットに話し掛けた。
「俺はカイトと言う。お前の名前を教えてくれないか?」
「あい、りせっとのなまえ? りせっとはね、りせっとっていうの」
その愛らしい答えにカイトは思わず顔をほころばせた。おそらく普通の人間が見たら卒倒しただろうが、その笑顔(?)をリセットは興味深げに見つめる。
「そうか、よし。リセットはカラーの村から来たのか?」
「うん」
「ふむ、やはりそうか……しかし……」
カイトは考え込んだ。カラーの森の場所は知っているが、魔人である自分が直接行く事は事を荒立てる。だからと言って連れ帰るわけにもいかない。
「どうしました、カイト殿?」
リセットの顔を見つめながら逡巡していたカイトの背中に、声がかけられた。思考から脱して振り向く。そこにはカイトよりもやや長身の男の姿があった。黒を基調とした服、しかしマントの下から見える裏地は鮮やかな赤。豊かな髪が月光に照らされて金色に輝き、そしてその顔には眼鏡のレンズが光る。魔人一の洒落者、吸血鬼ケッセルリンクだ。
「……ああ。ケッセルリンク殿、付き合って頂いていたのに勝手に先走ってすまなかった」
カイトは軽く頭を下げる。緑の里に近づくモンスターがいないようにここらを見回っていたカイトだが、領地の近いケッセルリンクは良く一緒に付き合ってくれるのだ。
カイトはリセットをひょいっと抱え上げる。
「ふわぁ……」
リセットの視点が一気に高くなり、ふたりの魔人の顔が近くに見えるようになる。眼鏡越しに赤い瞳がリセットの顔を捉えた。リセットはそれに笑顔を返す。薔薇の芳香がリセットの花をくすぐった。
「はじめまして、小さなお嬢さん」
「あい、はじめまして」
「実は……」
そうしてカイトはリセットを見つけて救ったいきさつを話した。それを黙って聞き終わった後、ケッセルリンクは静かに口を開いた。
「ふむ、そうですか…リセット、と言いましたね?」
「うん、りせっとだよ!」
「ああ、だがそれがどうかされたか?」
間にリセットの元気な声をはさみながら、カイトが返事をする。
「リーザス国王とカラーの女王の間に生まれたという娘が、確かリセット……と言う名でした……」
「では、この子が?」
「ふに?」
驚いたようにリセットを見つめるカイトと、対照的に冷静なケッセルリンクの顔をリセットは交互に見る。自分の事が話されているのは漠然と理解できるが、その意味まではわからない。
「おそらく……。どうします?」
その問いかけに、カイトの目にわずかに憎悪の炎が燃える。リセットは思わずぴくんと身体を硬直させた。
「俺は……魔人だ。驕り高ぶった、自分のことだけを考えているような人間、そしてその最たる貴族や、王などという存在は好きではない」
そこまで言って、自分の顔をリセットが見つめているのに気付いたのか、カイトはふっと表情を和らげ、大きな手でリセットの頭を撫でる。それは岩のように硬い手だったが、リセットには不思議と温かく感じられた。
「だが同時に、それに虐げられた人間、俺の姉や緑の里に捨てられた娘達のために魔人になったような男です。そして、この子は人間どもの欲望にさらされてきたカラーの娘。しかもこの俺のような男を何の恐れもなく受け入れ、そして微笑んでくれるような無垢な存在です……」
「ふ……貴方らしい答えだ。かく言う私も、人の事は言えませんがね……」
気障にくいっと眼鏡を持ち上げると、ケッセルリンクは笑って言った。そしてリセットに向き直る。
「それでは、この子は私が返しておきましょう。ミストフォームを使えば、このくらいの小さなレディは運べます。見張りの兵たちには気付かれず、この子さえ気付かないように、そっと……」
リセットの目が、ケッセルリンクの手で覆われた。そしてそれがリセットの最後の意識となり、彼女は夢の中へと落ち込んで行く。
シュウッ。
カラーの村を囲む結界の外、ひとり佇んでいたカイトの前に闇色の霧が集まってきたかと思うと、それが次第に凝縮して人型を取りケッセルリンクとなる。
「ふう、これで終わりましたよ」
「かたじけない。ケッセルリンク殿」
頭を下げようとするカイトをケッセルリンクは制する。
「いえ、私も同じ考えでしたからね。ですがカイト殿、今日の出来事が歴史の帰趨を決定付けたかもしれません。その事で貴方の守るべき者の運命も、変化したかもしれない。その事は覚悟してくださいよ」
「重々承知。もとよりあのような幼子を人質にとるような手段で、自分の成すべき事が果たされるとは思っていない。彼女達の未来は、この俺の腕で何としても切り開いてみせる」
カイトはその腕に力を込め、決意を新たにする。そして、表情を緩めるとケッセルリンクに問い掛ける。
「それに、守るべき者があるのは、ケッセルリンク殿とて同じ事だろう?」
「ふっ……その運命から永遠に手を切った身ですが、やはり私も同胞には甘くなってしまうのでね……」
そう言いながら、いつも眼鏡を持ち上げるケッセルリンクの指がその時だけは額へと向かい、既に輝きを失ったクリスタルを撫でた。彼が元カラーであったという証だ。
「ふ……ははは」
「ふふ……」
同じ理由からちょっとした秘密を共有したふたりは、笑い合いながらクリスタルの森から離れ、魔人の森へと足を向けた。
ぱちり。リセットの目が開く。視界に入るのは見慣れた天井。昨日床についた時と変わらない。窓からは光が差し込んでいて、朝の訪れを知らせている。
(ここ……りせっとのおうち……?)
がばっとリセットはベッドから飛び起きた。あたりをきょときょとと慌てて見回す。間違いなく自分が毎日暮らす部屋だ。
(りせっとがいたもりは? おばけは? でっかいおじさんは?)
昨夜の光景を懸命に思い出す。しかし自分が何故ここにいるのかはわからなかった。
「あう〜?」
首を傾げながらぽてんとベッドから降りる。だがその時、ハッとリセットは気がついた。そして寝室を出て、台所で料理をしている母親パステルのもとへ一直線に向かう。パステルはリセットが起きてきたのを見ると、優しく微笑みかけた。
「おはよう、リセット。今日は自分で起きてきたのね、偉いわ」
しかしリセットは自分が誉められた事など気にしていることは出来なかった。堰を切ったようにその口から言葉が溢れ出す。
「あのね、りせっとがね……」
「……とげとげのでっかいおばけ……りせっとこわかった……」
「……でーっかいひとがきたの。パーパみたいにかみのけがなくって、つるつるなの。それでね……」
「……まっくろなひと。ママみたいないいにおい、お花のにおいがするの……」
舌足らずな言葉で自分の体験を湧き出るままに口に出す。興奮しているせいもあって支離滅裂気味だ。顔を真っ赤にして勢い込んで喋る娘に、パステルは少し驚くが、しっかりと耳を傾ける。だがやはり、良くはわからなかった。
「そう、楽しい夢を見たのね」
いつまでも喋りやまないリセットを遮ってそう結論を下す。パステルにとっては夜寝かしつけたあと、起きてきたリセットを見たのだから、結論がそうなるのは仕方なかったが、当然リセットは頬を膨らませて抗議する。
「むぅ〜、ちがうもん!」
自分が起きた時、昨日寝る時には着ていなかった外出着を着ていたことをリセットは知っていた。だからあれは夢であるはずがない。しかしその服は吸血紳士の心遣いによって汚れが払われ、モンスターに付けられた破れ目もきれいに修復されていた。リセットはパステルを納得させる事は出来なかった。
「う〜〜」
まだむくれているリセットに、ひょいと窓の外を見たパステルが顔をほころばせて言う。
「ほら、パパが来たみたいよ。ママと一緒に行きましょう」
「……パーパ!? うん、りせっといく!!」
一転パッと顔を輝かせてリセットは頷く。そしてパステルよりも早く外へと飛び出してゆく。やはりリセットにとってはランスが一番であり、夢のような昨晩の事は、ランスと会えたことであっという間に記憶の底へと追いやられてしまったようだ。リセットがこの記憶を再び掘り出し、その意味を知るのはまだ遠い先の事。しかしこの体験はリセットの成長に重要な役割を果たすだろう。
「パ〜パ〜!」
「おう、リセット。元気にしてたか?」
だから、今は少しだけそれを夢にしまっておいて……
あとがき
う〜ん、訳のわからないものを書いてしまった……。リセットをだしに魔人二人の良い面を見せているだけのような気がする……。こんなのRLAには送れんよなぁ、ということで自分とこに掲載。やはりリセット属性ない者がリセットSSを書くべきではなかったかも。
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