サーナキア放浪記 |
「本当に行ってしまうんですか? サーナキアさん……」 眼鏡の娘、メリムはそう問いかけた。 町外れの小さな門。急ごしらえでみすぼらしいそれは、今新たに出来始めている町の入り口。そこは町と外とを隔てる境界だった。 今しもその境界を越えようとしていたサーナキアは、背後の声に振り返る。雲の切れ間から顔を覗かせた月の光が顔を照らした。 「すまないメリム。だけどボクは出て行くことに決めたんだ」 着込んだ鎧と短く切られた後ろ髪が少年のような印象を与えるが、線の細いその顔立ちは娘のもの。けれどその目には揺るぎようのない決意が浮かんでいて、メリムは彼女がもはや止められないことを理解する。 けれどメリムの口はまだサーナキアを引きとめようと、言葉を発していた。 「どうしてですか? 私達にはあなたのような人が――町を守る人が必要なのに」 「わかっているさ。闘神都市の防衛隊長が名誉ある役職だってことは。……だけど」 サーナキアが言いづらそうに視線を外す。サーナキアのこだわり。それが何であるかはメリムもよく知っている。 「そうですね。隊長は隊長であって、騎士じゃありませんもの」 「ああ……そういうことだ」 「ボクは騎士だ。ダラスはとうの昔になくなってしまったけれど、ボクは騎士だし、騎士でありたい。騎士には仕えるべき主君が必要なんだ」 サーナキア・ドレルシュカフ。彼女は200年の時を経て蘇った騎士であり、国が滅びた今でも、女の身で騎士を目指すことを諦められないでいるのだった。 「そういうの……私にはよくわかりません」 女には理解出来ない男のロマンを力説されたような顔で、メリムは首を振った。 「わかってもらおうとは思ってない」 「……………………」 お互いに沈黙が降りた。月がまた、雲に隠れ始める。サーナキアが踵を返した。 「それじゃ」 「あ……」 思わず声をかけて、メリムは、自分が何を言いたいのかわからなかった。けれど、このまま彼女を行かせてはダメだ。サーナキアは珍しく、辛抱強くメリムの言葉を待っていた。 「あのっ!」 それで、メリムは言葉を搾り出すことが出来た。 「わたしたち、頑張ってこの闘神都市をすばらしい都市にしてみせます。だからサーナキアさんも、頑張ってください!」 思った以上の大きな声。おどおどして頼りない子と思っていたメリムの予想外の激励に、サーナキアはふっと目を細めた。 「それで……いつかまた、ここに戻ってきて下さい。私たちは、待ってますから」 正直、戻らないつもりだった。けれどその言葉で気付かされた。この闘神都市こそが、サーナキアにとって第二の故郷だということを。 だからサーナキアは笑顔で手を振った。 「ありがとう、メリム。それじゃ行ってくる!」 と、意気込んで出発したものの。 200年の石化から目覚めたサーナキアには、現代は異世界も同様だった。なにしろ世界地図も大きく塗り変わってしまっている。リーザスとヘルマンの二大国、そして魔物の世界は200年前から変わらず存続していたが、それ以外は聞くも見るも初めての土地ばかりなのだ。 ただ、世界の文明レベルがさほど変化していないのが、サーナキアにとっては幸いだった。新進の魔法大国ゼスが開発したさまざまな魔法便利道具が増えたこと以外は、生活習慣の上でサーナキアの時代と現代はほとんど変わりはなかったのだ。見慣れない機器の扱いに戸惑うことさえあれ、旅先で深刻に困ることはないだろう。 「とりあえずは武者修行も兼ねて行くとするか……自由都市にも君主制の都市はあると聞くし……」 サーナキアが後にした闘神都市は、大陸の南端に位置する。その周辺、大陸の南東部は都市国家群が広がる自由都市地帯だ。そこには大小さまざまな都市が存在し、それぞれ独立した自治を行っていた。 「ダラスを思い出すな……」 サーナキアの生まれたダラス国は、リーザスとヘルマンに挟まれた小さな国だった。規模としては自由都市の一都市とかわりない。サーナキアは祖国の面影を無意識に探し求める自分に首を振った。 (ダラスのことは忘れるんだ。新しい国。ボクが仕えるのに誇りをもてるような国を探そう) サーナキアは街道を北に向かって歩き始めた。 数日後。どこをどう迷ったのか、サーナキアは辺鄙な町の入り口とおぼしき場所にいた。 手入れの行き届いた道で、『この先ルーキウス』と立て札が立っている。 (ルーキウス……? 聞いたことがない町だな) もちろんサーナキアの記憶は200年前のものだったから、記憶がないのは当たり前か、と自嘲して。なんにせよ町だろうが村だろうが、ベッドで寝られるならばありがたい。サーナキアはルーキウスとやらに立ち寄ることにした。 時刻は夕刻に差しかかっていたこともあって、ルーキウスの全貌は見渡せなかったが、道筋に沿っていくとなんとか宿屋らしき建物を見つけることが出来た。 「おお、お客さんとは珍しい! ようこそいらっしゃい」 宿に入ると愛想のいい小柄なヒゲの親父がサーナキアを迎えた。部屋を取りたい旨を伝えると、部屋は空いているそうで、すぐに奥の部屋に案内された。部屋は上等とは言えなかったが、隅々まできれいに掃除が行き届いていて、ベッドの寝心地も良さそうだった。親父は客が嬉しいのかずっと喋りっぱなしで、サーナキアは聞き流していたが、ある言葉が耳に入ったのは聞き逃さなかった。 「お客さん、ルーキウス王国へは初めてですか? 初めてでしょうねぇ。お客さんの顔を見たことはありませんから」 「王国だって!? ということは、騎士団とかもあるのか」 突然振り返ったサーナキアに、親父は少し怯んだが、人懐こい笑顔を崩さずに続けた。 「え、ええ、ありますよ。ルーキウス騎士団はとても頼もしい方ばかりで」 「へぇ、それはいい」 思いもかけず騎士団の存在を知って、サーナキアはにんまりと笑みを浮かべた。意外な掘り出し物かもしれない。鶏口となるも牛後となるなかれ。多少小さな国だったとしても構うものか。そもそもダラスだって小さな国だったのだ。騎士となるに国の大小は関係ない。問題は仕えて誇りを持てる国かどうかなのだ。 「もっとその騎士団について聞かせてくれないか」 ベッドに腰掛けて、親父に先を促す。サーナキアの目は期待に輝いていた。しかし―― 「ようがすとも。騎士団の兄さんたちはみんな気のいい連中でね――」 「うんうん、それで?」 「この間はうちのガキどものおもりをしてくれたし、その前は迷子になった婆さんを見つけてくれたんですよ」 「え?」 「いやー、家の改築は手伝ってくれるし、力仕事はお任せだね。面倒事も嫌な顔ひとつせずに引き受けてくれるんで。ホント良い方ばかりですよ!」 「はあ……」 どうも話がおかしい。サーナキアがやる気のない相槌を打つ間にも、親父はぺらぺらと騎士団の『活躍』のほどを並べ立てていった。 「……ひとつ聞いていいか?」 一晩中続くかと思うほどの勢いで喋り続ける親父に、サーナキアがようやく機会を捉えて口を挟めたのは30分後だったが、それまでの間にサーナキアの望んでいる種類の話は一言たりとも出てこなかった。 「どうぞどうぞ。ひとつといわず幾つでもなんなりと」 「騎士団と言うのはいつもそんなことばかりしているのか?」 「へ? へぇ、まぁ、そうですかねぇ」 「町を襲うモンスターと戦ったりしないのか? 治安維持とか、もっとやることはあるだろう? 騎士らしい仕事が!」 ぐわっと叫ぶサーナキアの剣幕を、しかし親父はあっさりと笑い飛ばした。 「あっはっは! このルーキウスじゃそんなもんありゃしません」 「なにしろ大陸で3番目に昼寝に向いた場所なんで。平和そのものでね。事件らしい事件も起こらないんですわ」 「……ありがとう。とても参考になった」 ぐったりと脱力して、サーナキアは話を切り上げた。もうこの親父の話を聞くのはうんざりだった。 「そりゃ良かった。それで、お食事はいつお持ちしましょうか?」 「いや、いい……食欲がなくなった。もう寝る」 「ありゃりゃ、それじゃ失礼します。お休みなさい。お大事に!」 親父が扉を閉めて出て行くと、サーナキアは鎧を脱いでベッドに突っ伏した。 「あーもう! そんな便利屋みたいな騎士なんて、騎士じゃない。願い下げに決まってるだろう……」 サーナキアは枕を殴りつけると、仕方なく眠りについた。騎士への道はやはり険しいようだ。 「うーん、道を教えてもらったのはいいが、この地図じゃさっぱりあてにならないな」 ルーキウス王国を早々に後にしたサーナキアは、出掛けに親父から貰ったメモ書きの地図を広げて、行く先の街道と見比べた。地図には大きな街道と現在地(ルーキウス)、周辺の自由都市の位置関係が書き込まれているのだが、視界を木々に遮られた森の中ではほとんど役に立たないシロモノである。 出発前にメリムから拝借した立派な地図もあるが、こちらは立派とはいえ世界地図なので、細い街道や細かな地形は載っていなかった。 「………………」 あらためて、自分の無謀さを思い知らされたような気がして、サーナキアは眉を顰めた。これでは騎士になるどころか、道に迷った末に野ざらしの死体になるのがオチかもしれない。 しかし後には引けないのだ。サーナキアは意を決して街道を北に進んだ。 運がよいことに、しばらくすると森が開け、サーナキアは見通しの良い街道に出た。しかもその街道はうしバスの運行がある道だった。ほどなくして、サーナキアの背後からみゃあみゃあという特徴的な鳴き声が聞こえてきた。 サーナキアはうし二頭立てのバスをヒッチハイクのように半ば無理矢理止めると、御者に尋ねた。 「このバスはどこに行くんだ?」 「途中停車駅はいろいろありますが……リーザス行きです」 「それは都合がいい。乗せてもらうぞ」 「構いませんけど。初乗り運賃は8GOLDですよ」 停車駅以外での割り込みは日常茶飯事なのか、御者は驚く風でもない。サーナキアが運賃を払って乗り込むと、何事もなかったように鞭を振るった。 みゃああああ〜〜! うしが哀しそうに鳴くと、バスは勢い良く走り出した。 サーナキアは座席に押し付けられるようにして腰を下ろすと、あらためて車内を見渡した。10人ほどが乗れるうしバスの車内は、ガラガラだった。サーナキアのほかには、ひとりの客が隅に静かに座っているだけだった。サーナキアは一息ついて、座席に身を持たせかけた。 「おい御者、ちょっと尋ねるが」 「なんでしょう」 「停車するところに、騎士団のある王国などはないか?」 「終点のリーザス以外にですか? そうですねぇ……」 御者はちょっと考えるように首をかしげた。 「ジオとパランチョぐらいですね。Mランドも警備隊ぐらいありますが、騎士団ってほどのものを持っている自由都市となると、そうはないですよ」 「ふぅん、そうか。それで、どっちが近い?」 「パランチョにはあと2日ほどで着きますよ」 「結構」 実際には着いたのはその翌日だった。 バスから降り立ったサーナキアの前に、イルカを象った可愛らしいデザインの立て札が、道の先に遠く見える国を示している。パランチョ王国。なんともファンタジックなその名の響きは、足を踏み入れる前から嫌な予感をさせていた。 「また辺境の小さな王国か……ルーキウスよりも田舎臭くはないみたいだけど――」 「リーザスほどじゃありませんが、ここの騎士団はこのあたりでは結構有名ですよ。知られざる強豪ってとこですかね?」 うしバスを止めた御者が、御者台の上から声をかけてきた。 「お客さん、パランチョの騎士団に入るつもりですか? やめた方がいいですよ」 「どうしてだ?」 「きっと向いていないから」 「聞き捨てならないなそれは。ボクが弱いっていうことか?」 「そうじゃなくて。……まあ、行ってみればすぐわかりますよ」 意味深な言葉を呟いて御者はサーナキアを送り出した。 「ああ、それから。思いのほか早く着いたんで、バスはしばらくここらで休憩を取ることにしました。またご利用ならお早めにどうぞ」 道なりにしばらく歩いていくと、丘から見下ろす形でパランチョ王国の全貌が見えてきた。その眺めに、サーナキアは思わず溜息を漏らす。 「へぇ……綺麗なところじゃないか」 水と緑に溢れた豊かな土地らしく、小振りの城は水瓶をもった女神を象った大きなオブジェで飾られており、その水瓶からは水が流れ落ち、城を囲む堀を形成するという凝った造りだ。豊富な水のお陰か作物は豊かに実っており、城下町の雰囲気も良さそうだ。 国の名前はともかく、住むとしたら良いところに違いないと思われた。しかし、屈強な精鋭騎士団とはあまり似つかわしくないような雰囲気でもある。 先ほどの御者の言葉も気になった。ここの騎士団は何か問題でもあるのだろうか。いや騎士団自体よりも、あの御者はサーナキアに向いていないと言っていた。それはどういう意味だろう―― そんなことを考えていると、道の向こうから聞き慣れた音が響いてきた。いくつもの金属の鎧が立てる行進の音だ。サーナキアは顔を上げた。 「あれは騎士団か? ちょうどいい、おーい――」 声をかけようとして、サーナキアは思わず息を飲んだ。騎士団の先頭を歩く青年に目を奪われたのだ。 颯爽と肩で風を切って歩いてくるその青年は、金の長髪に碧眼の美形。しかもその身を包む鎧までも上から下まで金色という派手ないでたちだった。 思わず道を譲ってしまって、一団の最後尾が整然と目の前を通り過ぎようとするとき、ようやくサーナキアは我に返った。 「ちょっと待ってくれ!」 何事かと、一団が振り返る。最後尾の男がずいと身を乗り出した。 「何か用か?」 「あなたたちはこの国の騎士団か?」 「そうだ。そういうお前はパランチョの者ではないな。何の用だ」 「ボクはサーナキア・ドレルシュカフ。ボクを騎士団に入団させて欲しい」 サーナキアの言葉に、男は兜の奥からじろじろと値踏みするようにサーナキアを眺め回した。先頭の青年と同じように、その身体は金色の鎧に包まれている。 「見たところ武芸のたしなみはあるようだが……入団試験なら来年の春だ。それまで待つことだな」 「なんだって! そんなに待てるわけないだろう。今すぐ試験してもらうわけにはいかないのか?」 サーナキアが食い下がって、事態が押し問答の様相を呈し始めたとき、騎士たちの輪を割って、先頭の青年がやってきた。 「おいそこの。いったい何をやってるんだ?」 「ハッ! ピッテン様、それが……」 「そこの若僧が、我が国の騎士団に入団したいと言っておるのです」 「おいおい、レディに向かって若僧なんて言うもんじゃない」 ピッテンと呼ばれた黄金の騎士は、サーナキアに笑顔を見せた。それは爽やかな笑顔だったが、サーナキアにはいいようのない居心地悪さを感じさせるものだった。一目で女と見抜かれたことも気に障る。サーナキアは挑むように青年を見据えた。しかし青年は涼しげに受け流して、手を広げた。 「……部下が失礼をしたようだ。俺が話を聞こう」 「うちに仕官したいだって? 無理だな」 サーナキアの話を一通り聞くと、ピッテンは気障ったらしく髪をかきあげた。その仕草のいちいちが、サーナキアの癇に障る。 「我がパランチョは、国こそ小さいが……パラン騎士たちは精鋭ぞろいだ。君みたいな女の子が務まるものじゃあない」 「そんなこと、やってみなくちゃわからないだろう!」 食って掛かるサーナキアに、ピッテンは指を立てて見せた。 「それにだ。うちの騎士団は剣を使わない。君は剣士だろう? 生憎だが騎士団に君の居場所はない」 「ぐ……」 サーナキアは言葉に詰まった。確かにピッテンの言う通り、周りのパラン騎士たちは長槍を携えた者ばかり。剣と槍では戦法が違う。槍ばかりの部隊に剣士がひとりだけ混ざったとしても、それは部隊として有効に機能しないだろう。 だがサーナキアは気付いた。この中でひとりだけ、槍を持っていない男がいる。サーナキアは目の前の黄金騎士に指を突きつけた。 「それなら、あんたはどうなんだ? その腰の剣は飾りだとでも言うのか?」 「コイツ! ピッテン様に向かって!」 「まあ待て」 いきり立つ騎士たちを片手で諌めると、ピッテンは心底面白そうにクックッと笑った。 「確かに君の言う通りだ。俺はこの国で数少ない『剣士』。だがそれは隊列を組まず一人でも戦えるという、ずば抜けた技量を持つからこそ許された特権だ」 そうして静かに腰の剣を抜く。 「いいだろう。入団試験だ。君が我が騎士団で剣を持つに相応しいかどうか、試してやる。ま、女の細腕じゃ、俺の前で5分ももたないだろうが」 小馬鹿にしたような言い方に、サーナキアも抜刀する。 「言ったな! 確かに聞いたぞ! もし5分経ってもボクが立っていたら、その時は――」 「その時はそれ相応の待遇で迎えてやるさ。行くぞ!」 それを合図に、ふたりは剣を切り結んだ。 長い5分間だった。 (いつまで続くんだ。くそっ、なんでコイツはこんなに余裕があるんだ) サーナキアは必死だった。ピッテンは自分で言うだけのことはあり、相当の使い手だった。重そうな金色のフルアーマーを着けているというのに、その剣は光のように速く、動きは直線的だが正確無比だった。 「ホラホラ、こんなものか!?」 次々に繰り出される攻撃を、サーナキアはなんとかしのいでいる状態だ。サーナキアから攻撃するなんてとてもじゃない。 (だけど……防ぐだけならなんとかなる!) サーナキアは5分耐えさえすればいいのだ。しかしその5分は永劫とも思える長さ。 「なかなか粘るな、あの女……」 「おい、あと1分で5分だぞ!」律儀に時間を計っていた騎士が叫んだ。 (あと少し……!) その言葉で、サーナキアの気がゆるんだ一瞬だった。相対する黄金騎士の口元がニヤリと歪んで、サーナキアは悪寒を感じた。 「くっ!」 まずい、と思った時は手遅れだった。五色の斬撃が閃き、一瞬でサーナキアを吹き飛ばした。 「うわあぁっ!!」 「ほう、俺の必殺技を受けて、気を失わなかったのは誉めてやるよ」 「く……」 地面に転がったサーナキアを見下ろして、ピッテンは面白そうに笑った。それをサーナキアは睨み返す。 「集団戦の騎士団は無理でも、君さえ良ければ、俺の側近にしてやっても構わないが――」 「誰が! 貴様みたいなヤツ、こっちからお断りだ!」 「あっはは、だろうなぁ。残念。君みたいな娘は嫌いじゃないんだがね。どうやら縁がなかったようだ…………それじゃお前たち、行くぞ!」 黄金の騎士は楽しげに笑いながら、颯爽とマントを翻すと、部下たちを引き連れて去っていってしまった。 「くそっ……! あんな軽薄な男にも勝てないのか、ボクは……」 サーナキアは痛む身体を引きずりながら、うしバスの待つ場所へとのろのろと足を運んだ。あの御者の言う通りだったな、などと考えながら。 「えー、……独立都市国家ジオ。独立都市国家ジオです」 うしバス御者のアナウンスが車内に響き渡った。 ルーキウス王国を発ち、パランチョ王国、遊園地都市Mランドを経て、サーナキアが次に辿り着いたのは堅固な城壁に囲まれた城塞都市だった。 「ようやく『都市国家』って感じの国に来た気がするな……」 サーナキアは高い城壁を見上げて呟いた。今まで見てきた都市国家は、闘神都市も含めて、城壁を持たない牧歌的な農村国家ばかりだったから、その感想はしごく当然であった。だがこのジオの街はサーナキアの『都市国家』のイメージ通り、都市すなわち城という体裁をなしていた。 (この街なら……ボクでも仕官できるだろうか) そんな期待を抱きながらうしバスのステップを降りると、ふと思い出して、サーナキアはくるりと御者台を振り返った。 「礼を言うのを忘れていた。あの時は世話になったな」 「構いませんよあんなお節介。したくてしたことです」 ピッテンに敗れて帰ったあの日、うしバスまで辿り着いたサーナキアはそのまま意識を失ってしまったのだ。あのままだったら死んでいたかもしれない。それを手当てしてくれたのはこの御者だったのだ。 「だから、お客さんには向いてないって言ったでしょう――」 気がついた時、見下ろしている顔が誰なのか、最初はわからなかった。 「痛……ボクは? 気を失っていたのか……」 「半日ぐらいですかね」 頭が次第にハッキリして、その声が聞き慣れた御者のものだとわかった。いつもフードに隠れていた顔は、若い青年のもので、意外にも整った顔立ちをしていた。 「ここは……バスの座席の上か。いいのか? こんなことをしていて。バスを走らせなくても」 「構いませんよ。乗客はお客さんだけになっちゃったし。運行予定まではまだ間がありますから」 そう言って、御者の青年はサーナキアの傷口に軟膏のような薬を塗り込んだ。それではじめて、サーナキアは自分が服を脱がされていることに気付いた。さすがに下着と胸のサラシは脱がされていなかったが―― 「用意がいいな。そんな薬を持っているなんて」 「あれ、知りません? うしバスでは必需品ですよ。なにしろうしが暴れると下手すると人死にが出ますからね。傷薬ぐらいは最低持っていないと」 「そう言われてみればそうか」 「でも気がついたならコレも必要ないかな。世色癌があります。飲んでください」 「おいおい! そんなもの高いだろ――んぐっ」 サーナキアが反論に口を開けたところに、黒い丸薬が放り込まれた。ぱあっとサーナキアの身体が発光すると、みるみる傷が回復していく。 「……こんなことをして。乗車賃がパアだろうに」 サーナキアは理解出来ないモノを見るような目で、御者の青年を見上げた。けれど青年は微笑みを浮かべるだけだ。 「別に。僕の気まぐれですよ。僕は僕の好きにしているだけですから。お客さんの気にすることじゃありません」 「ふん、勝手にしろ」 ――そんなことがあった。 勝手にしろとは言ったものの、サーナキアとしてはやはり礼のひとつぐらい言っておかないと気持ち悪かった。 「とにかく、礼だけは言っておく」 御者台に向かって軽く頭を下げて、それからサーナキアは城門へと向かった。 御者の青年はサーナキアの後ろ姿が城門に消えるのを興味深げに見届けて、ごろりと御者台に横になる。 「さて、どうなることやら……」 「おーい、このバスは出られるのかい? 乗せてくれよ」 旅支度をした中年の男が下で乗車扉を叩いていた。 「あー、すみません。まだ停車中なんで」 「リーザス行きだろう? いつ出るんだ?」 「そうですねぇ……僕の見立てでは――早くて明日ってところですかね」 青年は城門の向こうを見やりながら、答える。 「なんだいそりゃ? いい加減だな」 「あはは、また明日来て下さい」 カツ、カツ、と往来に足音が響く。 ジオの街は街中も石畳が敷かれていて、重厚感のあるような町だった。 「ともかく、パランチョのような事態は避けたいな……」 町の様子を窺うように歩きながら、サーナキアは作戦を考えていた。パランチョの時は相手が癇に障る相手だったのも一因だが、サーナキアも簡単にカッカしすぎていた。こちらは仕官させてもらう立場なのだし、少しは下手に出ておとなしくしなければ。 (ひとまずは相手を偵察した方が良いだろう。おそらく騎士団の詰所のような場所があるはずだ。そこを探すか……) 「泥棒だー!!」 サーナキアの考え事は、そんな叫び声で中断された。 「だれか、そいつを捕まえてくれッ!!」 顔を上げて声のした方角を見ると、人垣を割って、プロレス男のような体格のいい男が走ってくるのが見えた。小脇には盗品と思しき袋を抱えている。店主らしき中年男がその後を追いかけていたが、とても追いつける速さではない。それに周りの人は男のガタイにびびって、手を出しかねているようだった。 「情けない……!」 男は人垣を抜け、こちらに走ってくる。サーナキアは腰の剣に手を伸ばして静かに身構えた。だが男のスピードは落ちない。小柄なサーナキアを完全に侮っているようだった。サーナキアの背後には誰もいない。男はサーナキアを打ち倒して逃走する気に見えた。だがサーナキアは男の目論見通りにさせるつもりはない。 「フン!」 サーナキアの間合いに男が走りこんでくるタイミングを計って、剣を鞘に入れたまま足元に振るう。 「ぐあっ!」男は脛をしたたかに叩かれもんどりうって地面に転がった。間髪入れずにサーナキアは剣を抜き、倒れた男の喉元に刃を突きつけていた。 「そこまでだ、このコソ泥め!」 遅まきながら駆けつけてきたジオ騎士団に強盗を引き渡し、型通りの職務質問を受けた後―― 「その強さ。なかなか見所があると見た。君、ぜひ我がジオ騎士団に入らないか?」 隊長と思しき黒騎士が話し掛けてきた。その申し出はサーナキアにとって言うことのない、まさにサーナキアが望んでいたものだったが、パランチョの失敗でサーナキアは少し用心するように尋ねた。 「いいのか? ボクみたいな素性のわからない旅人を騎士団に入れても」 「そんなことを気にするものなどいない。それに、君が心正しい人物だということは今回の振る舞いを見れば明らかだろう?」 キラリという擬音が似合うほどの爽やかな笑顔。サーナキアは嬉しかった。こんな人のいる騎士団ならば、自分の理想の騎士団に近いかもしれない。 けれどそれだけに、彼らを裏切りたくはなかった。 「でも……その……ボクは女なんだ」 胸の前で手を握り締めて、おそるおそるの告白。女だからダメと言われるんじゃないか――それが怖かった。けれど、 「それがどうかしたのか?」 その言葉で、サーナキアの不安は杞憂に終わった。 「我が騎士団には、少ないが女性騎士もいる。性別は関係ない。腕が立ち、清廉な人物なら言うことはない」 「隊長の言う通り!」 「歓迎するぜ! 一緒にこの町を守ろう!」 兵士たちも口々にサーナキアを歓迎した。その気持ちのいい連中に、サーナキアは思わず涙腺がゆるむ気がした。なにより、これで念願の騎士になれるのだ……! 「あ、ありがとう……」 珍しく素直な態度を見せて、感極まったようにうつむくサーナキア。兵士たちはそんなサーナキアを囲んで騒いだ。 「やったぜ、新しい仲間だ!」 「よろしくな!」 しかしそれが、次第に別のかけ声と変わってくると、サーナキアはいつまでも感動に震えているわけにいかなくなった。 「ジーク、ジオ!」 『ジーク、ジオ!』 「じーく、じお?」 次々に繰り返されるその意味不明な言葉に、サーナキアは怪訝な視線を向けた。 「そうだ。我が騎士団に入るならばこの合言葉は必須事項なのだ。ホラ、一緒に。ジーク、ジオ!」 『ジーク、ジオ!』 『ジーク、ジオ!』 兵士たちが隊長の音頭にあわせて次々と叫ぶ。しかしそれはサーナキアの目に一種異様な儀式かなにかのように映った。それに自分が加わるさまを想像するなど――思うだけで恐ろしい。 だから、サーナキアはぶるぶると身体を震わせた後、爽やかな顔で高らかに声を上げる兵士たちに、大声を破裂させた。 「やってられるかぁぁあ!!」 サーナキアはジオ隊長に鉄拳パンチをお見舞いすると、ずかずかと大股でジオの町を後にした。 「それでは出発進行――次はリーザス領オク、リーザス領オクです」 なんだか含み笑いをしているような御者のアナウンスが、ひたすら不愉快だった。 「やはり、ここしかないか――」 サーナキアは堀の向こう側に立つ白く大きな城壁を見上げた。 リーザス城。南の豊かな大国リーザスの首都であり、その美しさでも名高い城だ。目にするのは初めてだったが、200年前も今も、この城の噂は変わりない。 リーザスは有名な黒青赤白4色の騎士団を有している。なかでも大陸一の突破力を誇る赤の軍はリーザスの武力の象徴とまで言われていて、その勇名は世界中に鳴り響いていた。ここの騎士団に入ることができれば最高だろう。それに、リーザスは女性の多い軍でもある。将軍職にも女性がいると聞くし、王の警護を務める親衛隊は女性だけで構成された華やかな部隊なのだ。よもやサーナキアが女だからという理由で門前払いを食らうことはないだろう。そう考えると、サーナキアにとってリーザスは最後の頼みの綱なのであった。 「ところで、何であんたがここまでついて来ているんだ?」 サーナキアはくるりと振り返った。そこにはうしバスの御者の青年が、微笑みを浮かべて立っていた。 「リーザスが終点なんですよ。仕事は終わったんで、今はフリーで」 「うしバスの御者というものはそんなにヒマなのか?」 「さあ? 僕はたまに手伝いをしているだけなのでわかりません。不定期のアルバイトなんですよ。本職は――」 「ああもういい! ボクはあんたに構っている余裕はないんだ」 サーナキアはずんずんと足音荒く堀をまたぐ跳ね橋を渡った。 城門は大きく開かれていて、今は謁見は自由にされているらしかった。 「女王様は寛大な方ゆえ、誰とでもお会いになる。失礼のないようにな」 衛兵の言葉を聞き流し、サーナキアは奥に進んだ。 謁見の間に入ると、正面の玉座に侍女と護衛の騎士に挟まれるようにして、白いドレス姿の娘が腰掛けていた。その顔に見覚えはないが、彼女がリーザス女王、リア・パラパラ・リーザスに違いない。 若くして国を継いだ女王。その美しさと政治手腕は自由都市までも鳴り響いている。そうとう食えない人物なのだろうとサーナキアは心構えをしてきたのだが――なるほど、リアはその若さですでに国王としての貫禄を備えている、鋭く聡明そうな目をした娘だった。 その目が入ってきたサーナキアを捉えると、リアは意外そうに眉を上げた。 「あらあら、誰かと思えば――知っているわよ、あなた」 指を指されていささか戸惑いながら、サーナキアは思い出した。以前イラーピュでサーナキアはリーザスの兵と遭遇していたのだ。そこから報告が行っているのかもしれない。リアは記憶を手繰るようにしてサーナキアの上で指をふらふらさせた。 「えーと、サ……サイデリアだっけ?」 「サーナキア・ドレルシュカフだ!」 「そうそう、サーナキア。イラーピュでダーリンに刃向かった愚か者ね」 未婚の女王のダーリンというのが誰を指すのかわからなかったが、サーナキアはどうも良い印象をもたれていないようだ。リアは露骨に嘲るような視線で、玉座から見下ろしていた。 「あなた、騎士になりたんですって?」 「はい。ぜひリーザスに仕えたく――」 「でも女よね」 「っ、女ではいけないか?」 「別に構わないけど。でも貴女、親衛隊でやっていく気はないでしょう? ここにいるレイラのような、艶やかな金の鎧を着て、女として戦う気は貴女にはない――そう見えるのだけど」 リアは脇に控える赤毛の女性を見やった。レイラと呼ばれた親衛隊員には見覚えがある。イラーピュで会ったのだ。彼女の鎧はサーナキアの着ている無骨な鎧とは違って、胸の膨らみをかたどった丸みを持ったデザインで、二の腕や太股も露出している、女を意識したデザインだ。サーナキアは自分がその鎧を着けているところを想像して、思わず震え上がった。 「……できるならば親衛隊ではなく、騎士として戦いたい。その、女性は、例外なく親衛隊に入らなくてはならないのか? ……そうだ。将軍には女性騎士がいると聞いたが」 「ええ。確かにいるわ。でも貴女が、彼女たちほど腕が立つとは思えないもの。貴女はせいぜい親衛隊の隅っこにでもいるのがお似合いよ」 「ぐっ……」 「あら、悔しい? それじゃこうしましょう。貴女のお得意の剣の腕前を披露なさい。もし貴女が将軍たちほど強くて、親衛隊では勿体無いほどの使い手なら、赤の騎士として使ってあげるわ」 「……わかった。その挑戦、受けて立とう」 冷静に考えればサーナキアに不利な申し出なのだが。サーナキアは呑まざるを得なかった。女の格好をしたくないというサーナキアの都合で親衛隊入りを蹴るのだから、サーナキアは実力を示さなければならない。 「くすくす。身の程知らずね。さて相手は誰にしましょうか。……レイラでは可哀想過ぎるかしら」 リアの言葉はいちいちサーナキアの神経を逆撫でするように聞こえた。ぎりぎりと歯を食いしばる。リアはその様も面白そうに眺めている。 「そうだわ、メナドがいい。かなみ、メナドを呼んで来て」 「失礼します、メナド・シセイ参りました!」 タッタッと軽い足音を響かせて入ってきたのは、赤い鎧をつけた小柄な騎士だった。背はサーナキアよりも小さく、年齢も恐らくサーナキアの方が上だろう。 「こんな少年がボクの相手か!?」 思わず声を上げるサーナキア。メナドは見慣れない顔にきょとんとしている。 「少年じゃないわよ。メナドは女の子。ついでに赤の軍の副将。それでも相手にとって不足があるの?」 リアのけしかけるような言葉に、サーナキアは唸った。そうしてまじまじと眼前の騎士を見詰める。メナドと呼ばれたその騎士は、とてもそんな強者には見えない屈託の無い顔で、少年のような雰囲気を纏わせている。しかしよくみれば確かに鎧は女性用らしく申し訳程度の丸みを帯びていた。 (こんな子が……赤の軍の副将だって? リーザスのレベルは想像ほど高くないのか。それなら、ボクでも充分チャンスがあるんじゃないか……) 思わぬ展開に、サーナキアの期待が膨らんだ。その夢想から引き戻すように、リアの声が響いた。 「メナド、命令よ。この娘をこてんぱんにしちゃいなさい!」 「いまいち状況が理解出来ないけど……わかりました!」 メナドはサーナキアに向き直ると、腰の剣を抜いた。すると流石に気配が変わる。 「っ!」 威圧感を感じて、サーナキアもつられるように抜剣する。謁見の間の中央でふたりは対峙する事になった。 「それでは、はじめ!」 リアの声が勝負の開始を告げる。 「いくぞ! でやああああっ!」 サーナキアは突進した。 数分後。 「あっきれた。ぜーんぜんダメじゃない。出直して来なさい!」 「くっ、くそぉ……」 サーナキアは地面に膝をつき、悔しさに拳を握り締めた。 惨敗だった。メナドの攻撃にサーナキアは5分ともたず、あっけなく地面に転がされたのだ。 (……レベルが違う! これがリーザスの実力か) メナドの体格はサーナキアよりも小さいぐらいだというのに、斬撃は素早く正確で、サーナキアよりも一枚上手だった。サーナキアの実力が無いわけではない。これでもダラスや闘神都市ではトップクラスを張れる実力だったのだ。それでもやはり、強国の将軍クラスにはとても及ばない。 実力差を見せつけられて、サーナキアはしばらく動けなかった。 がっくりと肩を落として城門を出ると、御者の青年が待ち構えていた。もはやサーナキアにはそれを咎める気力も無い。 「どうでした、結果は? って、聞くほうが野暮ですね」 「そうさ。ダメだったよ」 「でもまだ諦めない?」 「どうかな……自分の限界が見えたような気がする。これからどうしたらいいのか……わからないよ」 街路樹にもたれかかって、サーナキアは空を仰いだ。 「また別の国に挑戦すればいいじゃないですか。たとえばヘルマンとか」 「ヘルマンか……そうだなヘルマンか……ああ!」 サーナキアの目が輝いた。青年の腕を取り、その顔を見上げる。 「あなたは、ヘルマンにも詳しいのか? いや、詳しくなくてもいい。リーザスとヘルマンの、国境に行ってみたいんだ」 「僕に、案内しろと?」 「ああ、無理な願いかもしれないが、頼めないだろうか……」 「いいでしょう。僕もそこに、用事が出来ましたから」 「ありがとう。助かる」 数日の旅の果て、サーナキアの眼前には砂漠が広がっていた。 キナニ砂漠。 大陸の中心に広がり、リーザス、ヘルマン、ゼスの三国を隔てる砂の海だ。 「はは……は……」 サーナキアはがっくりと膝をつくと、砂を掴んだ。 自分が思っていたより、ショックは大きかった。故郷がすでにないことを知っていても、それをこうした形で思い知らされるのは。 「町も……城も……何も残ってないんだな」 200年の空白を挟んだサーナキアの記憶では、ほんの数ヶ月前までそこには城があったはずだった。けれどすでに城はなく、砂が静かに舞っているだけだ。何があったのか、サーナキアにはわからない。ダラスなどという小国は、歴史に跡を残すこともなく消え去っていた。 ヘルマンかリーザス、おそらくはヘルマンに滅ぼされてしまったのだろう。そしてこの砂漠。聞くところによるとゼスが禁呪で作り出したモノらしい。この砂漠が全てを風化させてしまっていた。ここには何もない。ダラスの国があったという事実さえ、砂の中に消えてしまった。 「くそっ!」砂に握りこぶしを叩きつける。「くそっ! くそぉっ!」何度も、何度も。叩きつけた砂の上に、ぽつぽつと涙がこぼれた。 どれぐらいそうしていただろうか。 帰る国はない。仕官できる国もない。 けれどヘルマンだけは行く気になれなかった。 ヘルマンは屈強な男たちの国。その騎士団は女が入り込む隙間のない男社会で、よっぽどのことがない限りサーナキアが潜り込む事は出来ないだろう。しかも、サーナキアにとってヘルマンは、ダラスに攻め込んできた仇敵である。そんな国に仕官したいなどとは思わない。 「八方塞か……どこかで傭兵でもやって、チャンスを待つしかないんだろうか」 「それなら、僕らのところに来ませんか?」 不意に声をかけられて、サーナキアはすっかり忘れていた青年の存在を思い出した。青年の前で醜態をさらしていたのに気付いて、サーナキアは気まずく鼻の頭をかいた。 「まだいたのか。あなたに頼んだのはこの場所までの案内のはずだろ。もうとっくに用は済んだはずだぞ」 陽は沈みかかっていて、随分時間が経っていることはわかった。けれど青年は気にした風でもなく、首をすくめて言った。 「別に。僕は自分の目的でここにいるんですよ」 「ふん、そうか。それじゃいつまでも好きなだけここにいればいい。ボクは帰る」 踵を返して足を踏み出そうとしたサーナキアに、青年は尋ねる。気軽な調子で。 「帰るって、どこへ?」 「……………………」 サーナキアは思わず足を止めた。その背中に、青年の言葉が続けられた。 「前に言いましたよね。うしバスの仕事はアルバイトなんです。本職は別で。僕は有望な人材を集めているんです。あなたの腕ならうちの主力になれますよ」 「ボクの腕で、か……それはどんな国なんだ?」 「国じゃありませんけど」 「それじゃ、ダメだ。ボクは騎士になるんだ。騎士は仕えるべき国と、主君がなくちゃダメなんだ……」 うわごとのように呟くサーナキア。その様子を見ながら、青年は涼やかに言った。 「なれますよ」 「なに?」 「あなたの活躍次第ですけどね。……僕らはレジスタンスです。目標はゼスを改革してより良い国を作ること。もし僕らの目的が成功して、新たな国が出来たなら――――きっとその新たな王の傍には、騎士として貴方が仕えていることでしょう」 「それは…………」 確かに魅力的なビジョンだった。魔法国ゼスの初めての騎士――そんな肩書きも悪くないかもしれない。 「しかし、ボクは弱い……ランスに負け、ピッテンとかいう男にも負け、同じ女のリーザス騎士にも負けた。知っているだろう? そんなボクなんか……そんなボクのどこがいいんだ?」 「僕は人を見る目は自信があるんですよ。ええ、あなたは確かに一流の強さというわけじゃあないかもしれない。けれど素質はある。そう感じるんですよ」 「素質……」 「信じるかどうかは任せますけど。それとも、他に行く宛てが?」 追い討ちをかけるような青年の問いかけ。サーナキアは心が揺れているのを感じた。 「それは、ないけど……」 「では決まりですね。行きましょう。付いてきて下さい」 「あっ……」 強引に手を取られ、サーナキアは青年の後に続いた。もう振り払う気は起きなかった。 「そういえば、まだあなたの名前を聞いてなかった」 「そうでしたっけ? 僕はアベルト。アベルト・セフティと言います。こんな風に人材をスカウトしたり、諜報活動をしたりするのが仕事ですね」 「ボクはサーナキア・ドレルシュカフ。仕事は――」 「あなたのこれからの仕事は、レジスタンスの一員ですね」 「ああ、そうなるのか……」 (そして、ゆくゆくは――騎士に。ボクはあきらめない。必ず騎士になってやる!) 胸の奥で決意するサーナキアに、アベルトは微笑ましそうな視線を向けて。ふたりはアジトへの道のりを歩き出した。 こうしてサーナキアはレジスタンス組織アイスフレームに入り、実戦部隊シルバー隊の隊長となるのだが―― その数ヵ月後、ある男の登場で、ゼス崩壊と呼ばれる大混乱の中心に巻き込まれる羽目になることは、サーナキアはこの時、微塵も想像していなかった。 そしてその事件が自分の騎士としての運命を決定付けることも――また。 |
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