チョコレートよりも…

 








魔王城。大陸の支配者にして絶対的な恐怖の存在である魔王の居城……のはずだが、今日の魔王城はそんな雰囲気などカケラも見受けられなかった。それもそのはず、現在魔王城にいる魔人は、そのほとんど全てが女性魔人で占められており、そして今日は2月14日、すなわちバレンタインデーなのである。人間世界の悪しき風習は、しっかりとここにも根を下ろしているようである。

「がはははは!!」

魔王城の玉座では、魔王ランスがご機嫌状態だった。なにしろ自分が選び血を与え魔人とした娘たちが、次々とチョコレートを持ってくるのである。これで機嫌が良くならない男がいたらおかしいであろう。サテラを始めとして、ホーネット、マリア、千鶴子、アールコートなどのランスにベタ惚れの面々はもちろん、ミルやワーグといった精神的にまだまだお子様な娘も。

しかしやはりランスが最も喜んだのは、パステルに連れられて愛娘のリセットがやって来た時であろう。

「パ〜パ! はい、チョコレート!」

「おう、ありがとうな、リセット」

思わずリセットを抱き上げるランスの喜びようには、他の女性魔人は嫉妬を禁じえなかった。

そして、夕方頃になってサイゼルとハウゼルの姉妹もやって来たのだが……。

「はい、魔王様。いちおうチョコレート」

「遅くなって申し訳ありません」

「まあ、俺様はくれるものは貰うが……お前達、本命は?」

「もちろん、あたしはハウゼルよ」

「姉さん、もう、恥ずかしい……。それじゃ、失礼します、魔王様」

「ああ、ああ、もういい、勝手にやってろ」

という事態であった。

「ひのふの……これで全部か? シャリエラやエレナからも貰ったしな。あとは……」

姉妹が帰り夜になると、ランスは自分の部屋に引っ込んで、貰ったチョコを勘定していた。その手の中にあるのはどれもこれも手の込んだ手作り、またはお店で買えるものでも最高級のものばかりである。如何に女性たちがランスのことを想っているかが知れよう。

「そういやあ、想っていない奴が残ってたな……志津香!」

ぱんっ! ランスが声をあげたと同時に何かがランスを目掛けて投げ付けられた。しかしランスはそれをやすやすとキャッチした。

「あぶねぇな。食いもんを投げたらダメだって、死んだ両親から教わらなかったか?」

にやりと笑ってそれが飛んで来た先を見る。そこには、いつからいたのか魔想志津香が立っていた。その目は冷ややかな嫌悪を持ってランスを見つめる。

「大きなお世話よ」

「お前もチョコをくれるのか。毒入りか?」

「……っ、そんなこと、するわけないでしょう。……私は、ランスには逆らえないんだから」

「がははは! それじゃ、お前の気持ちだと思って貰っておくぜ」

「何とでも! 勝手にするがいいわ」

そういい捨てて志津香は姿を消す。ランスの手に残されたチョコレートは、しかしそれでも結構な高級品らしかった。

「ふん、これでやっと全員分か?」

ランスは再びチョコの数を数える。そして自分の周りにいる女性達の顔を思い浮かべた。

「う〜む………………!」

そして思い当たる。チョコの数がひとつ足らないことに。そしてその相手が誰か。

(シルキィのやつがまだ持ってきてないな)

ランスは朝からずっと謁見の間にいたが、シルキィの顔は一度も見ていない。だいたいこのところシルキィは自分の研究室に篭りっきりだ。この1週間というもの顔を見ていない気がする。

(真面目なあいつが夜這いをかけて来るとも思えんし…………ちっ、ちょっくら様子を見てくるか)

そう思い立つと、ランスは腰を上げてシルキィがラボにしている部屋に向かった。






夜の魔王城にランスの歩く音が静かに響く。さすがに夜ともなると魔王城もその荘厳さを思い出したようである。

「……こっちだっけか?」

自分の居城であるのにその部屋へ行く道の記憶があやふやなランス。シルキィのラボは魔物合成の実験をする関係上中心部からは離れたところに位置しているが、それほど覚えにくい場所にあるわけでもない。それなのに迷っているとは、ランスが普段シルキィをどう位置付けているかの証明と言えるだろう。実際シルキィはこれといってパッとしない魔物合成しか取り柄を持たず、そしてそのスタイルも――というかこれは身体年齢の問題だが――貧弱であり、性格も真面目で面白みのないものだというのが、ランスの漠然とした認識だった。

「っと、ここだここだ」

ようやく目的の場所を探し当てる。ランスはノックもなしにいきなり扉を開けた。

その部屋は、夜だと言うのに煌々と明かりが灯っていた。薄暗い廊下からいきなり明るい部屋に入って、ランスはその眩しさに目を瞬かせた。そして目が慣れると、その部屋の異様な光景が目に入ってきた。

巨大な水槽のようなもの、シリンダー状のものに入った魔物の溶解したような代物。机の上にはフラスコや試験管に入ったこれまた得体の知れない薬品類が並んでいる。そしてその机の前で、白衣を纏った青い髪の娘が忙しそうに行ったり来たりしていた。その身体は、目の前の水槽に入っている魔物の身体から比べるとあまりに小さい。

ランスはそのシルキィの姿を認めると、ちょっと興味を覚えた。そして声をかけるのを止める。シルキィは実験に集中していてランスが入ってきた物音などまったく耳に入っていないようだ。

(……考えてみれば、こいつが働いてる姿なんかじっくり見たことはなかったな。ホーネットや千鶴子やアールコートはいつも俺様の傍にいるんだが……)

手近にある椅子を引き寄せて、それに腰掛ける。そしてシルキィがあっちへうろうろ、こっちへうろうろして何やら作業をするのを見守る。ランスには何をしているのかはさっぱりわからないが、シルキィが心底それに真剣だということはおぼろげにわかる。そのシルキィの目つきが、何よりも雄弁にそれを語っている。白衣を着て、そんな真剣な眼差しをしていれば、

(……結構、いい女じゃねぇか……?)

と、ランスは思った。

(しっかし、なあ。俺様にチョコを持ってくるのも忘れるくらい大切なのか、それが?)

そう考えると、なんとなく腹が立った。

(ふふふ、これはお仕置きだな。よし、決定!)

そう勝手に決定して、ランスが腰を上げようとした時、振り返ったシルキィと目が合った。

「ま、魔王様!?」

跳び上がりそうなほど驚くシルキィ。自分の知らぬ間にランスが居たのだから当たり前だろう。

「おう、シルキィ」

「魔王様、すみませんお気付きもせずに……私に何か御用ですか?」

「ああ、いや、用って言えばそうだが……」

ごく丁寧に当たり前に対してくるシルキィに、ランスは調子を狂わせた。いつもとまったく変わりがない対応。その様子は、慌ててチョコを持ってくると思っていたランスの予想と遠くかけ離れていた。ふと思ったことを尋ねてみる。

「今日、何の日だか知ってるよな? シルキィ?」

「はい? ええ〜と…………すみません、今日は何日でしょうか?」

さらに見当外れの質問を返すシルキィ。ランスは思わず大声をあげる。

「おいっ、お前はいつからここに篭ってるんだ、シルキィ!?」

ランスの声に、シルキィはその小さな身体を余計に小さくして、消え入りそうな声で答える。

「あ、あの、……7日からですが……」

「かあっ! おまえなぁ……」

ランスは気が削がれたように、どさっと椅子に腰を降ろす。そして無駄だとは思いつつも次の質問を発した。

「当然、2月14日がバレンタインデーだっていうことも知らないんだよな?」

「……すみません」

ランスの思った通りだったらしい。シルキィの顔を見れば分かる。すぐに感情が表に出るこの娘は、本当にバレンタインデーと言うものが何を意味するかわかっていない。

(呆れて怒る気にもならんぜ……)

「あの、何か特別な日なんですか?」

ランスの落胆と呆然とした様子が不思議なのだろう、シルキィが尋ねてくる。ランスは苦笑交じりで口を開いた。

「ああ、まあな……バレンタインデーっていうのはだな、女の子が、好きな男にチョコレートをあげることでその想いを伝えることが出来る日だ」

だがそれを聞いたシルキィは、一瞬で顔色を変えた。

「そ、それじゃ……もしかして、魔王様、もう、みんなから……?」

「ああ、サテラにもホーネットにもリセットにも、あの志津香からも全員分貰った。ひとりだけを除いて、な」

「あ、あああっ! ごめんなさいっ! 私っ、今から……」

シルキィは真っ青な顔をして、脱兎のごとく部屋から飛び出していこうとする。それをランスの腕が捕まえた。

「あっ……!」

「まあ待て、待てって」

「…………」

腕を掴まれてランスの目の前に来る。シルキィは顔を伏せた。合わせる顔がない、とでも言うように。ランスはそれを見下ろしながら、大きく息を吐いて言った。

「なあ、シルキィ……お前はどうしてそうなんだ?」

「……そう、ってどういうことですか……?」

俯いた顔の下から、弱い声だけがランスに返ってくる。

「ひとりで篭りっきりで研究してたり、変に真面目だったり、バレンタインも知らなかったり……そういうとこだ。もっと、女の子だったらこう……女同士でおしゃべりしたり、遊んだり、あるだろ? ミルやワーグなんか、騒々しいことこの上ないぜ」

「……私は……こういう性格ですから……」

納得行かない、という顔でランスは言葉を続ける。

「だいたい、研究なんかよりもっと面白い事があるだろ?」

そう言った途端、シルキィががばっと顔を上げた。

「私はっ!」

そしてすぐ再び伏せられる。しかしその目に、うっすらと涙がかかっていたのをランスは見逃さなかった。

「……私は、面白いから研究や実験をしているわけじゃありません……」

「…………それじゃあ」

「私は、魔王様が私に魔物合成で軍の増強を命じられたから…………お慕いする男性のためだから、だから……頑張りたく……て……」

シルキィの声が、震える。擦れて、小さく、ランスの耳に届かなくなる。そしてぽとりと、涙の雫が伏せた顔の下の床に落ちた。

(そうだったのか……)

ランスは自分で出した命令をすっかり忘れて、無責任なことを口にした自分を後悔した。そんなシルキィの想いを知らずに、ただバレンタインに浮かれていた自分を少し情けなく思った。そして、あの研究に打ち込むシルキィの真剣な眼差しが、シルキィの自分への想いに他ならないことを知って、心が熱くなった。ランスはシルキィを抱きしめた。

「うっ、ぐすっ、うああああぁぁぁ!!」

抱きしめた途端、堰を切ったようにシルキィが泣き出す。ランスの胸に顔を埋めて、ただ後から後から流れる涙と嗚咽に身を任せる。ランスはその背中を優しく抱いて、落ち着くまで擦ってやった。ひとしきり泣いた後、しゃくりあげるシルキィにランスは呟く。

「そうだよな……」

「……ひっく…………?」

「チョコレートなんか、ほんとの想いにはかなわない。関係ないんだよな」

「…………魔王様……」

顔を上げたシルキィの視線と、それを見つめるランスの視線が絡み合う。そしてどちらからともなくふたりの顔が近づき、唇が触れ合った。
「んっ……ぅ……」

「シルキィのキスの方が、チョコレートなんかよりよっぽど美味いぜ」

「ぐすっ……嬉しい、です……」

まだ瞳に涙を溜めたまま、シルキィが笑顔を作る。しかしそれは、ランスが今まで見た中でも最高のシルキィの笑顔だった。







 


あとがき

「鬼畜魔王伝説」の設定を使ったバレンタインSSです。まあ、第二部ではリセットいなくなっているんで、第一部の設定でないとおかしいですが……そこは気にしない気にしない。それで今回のコンセプトはランス×シルキィらぶらぶSS(笑)。私は今まで結構酷いものを書いてきたらしいので、罪滅ぼしに幸せにしてあげようかな、と。自分はわりと楽しんで書けたんですが、読み返す自信はないです、恥ずかしくて(笑)。どうでしょう?

  

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