終章 遺されたもの

 






「……以上で、わたしからの報告を終わります」

「ああ、ご苦労だった、メナド。下がってくれ」

 バレスに敬礼をすると、カツカツと靴音を響かせながらメナドは退出した。闘神都市で起こった混乱と破壊、その事件の当事者として出頭を命じられ、その一部始終を詳細に報告したのだった。もちろんアルフのことや魔人のことも包み隠さず。

「思ったより、大丈夫そうですね」

 バレスの傍らに立つマリスが感想を述べた。

「ああ、かなみから先に報告を聞いたときには、どうなることかと思ったものだが……」

「でも、メナド副将は、三度目ですからね……。それが良いか悪いかはわかりませんが」

 それを聞いたバレスは顔をしかめる。

「良いわけ無かろう。何であの娘はこう、男運が悪いんじゃろうなぁ?」

「ザラック、ランス王、そしてアルフ・ヴァレイ。みな彼女の前から姿を消してしまった……。彼女を残して」

「うむ。わしはあの娘には幸せになってもらいたい。幸せになれると思っとったんだが」

 遠い目をしてつぶやくバレス。

「くす。それは父親の台詞ですよ、バレス将軍」

「上司にとって部下は子も同然ですぞ」

「ええ、でも彼女は、メナド副将は大丈夫ですよ。彼女が幸せかそうでないかは、彼女が決めるんです」

 そう言うと、マリスはわずかに微笑んだ。







「メナド……」

 軍司令部から出てきたメナドの前に、心配そうな表情を顔に浮かべたかなみが立っていた。

「…………」

 だがメナドは無言である。うつむいた顔からは表情も窺えない。

「あ、あのね。そりゃすぐには上手く行かないかもしんないけど、元気出してよ。男なんて、世の中にはいっぱいいるんだから」

「恋人のいた試しのないかなみちゃんが言っても、説得力ない……」

 皮肉を言う声にも覇気がない。そしてそのままかなみの傍らを通りすぎようとする。

「でも、でもっ。そんな、そんなのって……」

「メナドらしくない……でしょ?」

「え?」

 驚いて顔を上げたかなみの目に、以前のように、いや以前よりも輝きを増したかのようなまぶしい笑顔を浮かべたメナドの顔が映っていた。

「メナド……?」

「わかってる、全部。悲しんだってアルフが戻ってこないこと。あの結末は誰のせいでもないってこと。結果としてわたしがアルフに止めを刺したことは事実だし、変えようのないことだってこと」

「それに、悲しんでても、アルフは喜ばないことも。アルフなら、きっとこう言ってる。『メナドに涙は似合わないよ。私の好きなメナドは、いつでも明るくて笑顔の素敵な人だ』って――」

 だが、その言葉の最後は震え、目の端からひとしずくの涙が落ちる。メナドはそれを隠すかのようにかなみに背を向けた。

「でもね、わたし……もう恋はしないことに決めたの」

「え? どうしてよ? 明るく生きるんじゃないの?」

「……だって、……

アルフってあれでも嫉妬深いんだよ。それにわたし浮気はしたくないのっ」

 誤魔化したようないたずらっぽい笑顔で、かなみを振り返る。その笑顔に、かなみはさっきから感じていた疑問を口にする。

「誤魔化すんじゃないわよ。それにあんた、さっきから自分のこと……」

「くすっ。だって、お母さんが『ぼく』なんて、やっぱりおかしいでしょ?」










 LP11年3月。リーザス城の第3軍宿舎の訓練場。

 ギンッ! ガッ! ガギンッ!!

 剣がぶつかり合う金属音が赤の軍の訓練場に鳴り響く。ふたりの騎士が、大勢の兵士が見守る中で闘っていた。互いに凄まじい斬撃を繰り出し、それを受けることをもう数十分も繰り返している。

 一瞬、剣を結んでいたふたりが弾かれたようにお互いに間合いを取った。そして必殺の一撃を繰り出す呼吸を練ると、ふたたびそのふたつの影は交錯した。

「「『バイ・ラ・ウェイ!!』」」

 ピシッ……パキーンッ!

 一方の剣が砕け散る。勝敗が決した。兵士達から歓声が上がる。

「やっぱり、リック将軍には勝てない、か」

 柄だけになった剣を放ると、その騎士、つまり赤の副将メナド・シセイは対戦相手の騎士、すなわち赤の将軍リック・アディスンに笑いかけた。

「御謙遜はいけませんよ、メナド副将。今の勝負が互角であったことは、ここにいる全員が証言しますよ」

 自分の副将に対するとは思えない堅苦しさ――それがリックでありメナドはそれでいいと思っている――でリックが否定する。

「バイロードがもう一本あれば良いんですよね」

 代々赤の将に伝わるバイロードは、あいにく一本しかない。

「リーザス聖剣を使ってみては……」

「あれは、わたしにはちょっと重いんですよ」

 ふたりとも、本当にそれらを試してみるつもりはない。普通に剣を交えただけでお互いの力量は誰よりも理解しあっていたし、単なるお喋りに過ぎない。

「でも、あの子達には、納得いかないでしょうね」

 ふたりの横合いから、第3の声が挟まれた。王の親衛隊長を務めるレイラ・アディスン=グレクニー、リックの妻である。その声に、リックとメナドは顔を見合わせると苦笑いをした。

「ほら、ぼくのパパのほうがつよいよ」

「なにいってんのよ。じつりょくはごかくよ。ママがバイロードもってたら、ママのかちだったわ」

 ふたりの闘いを見守っていた兵士達の間で、その子供達は言い合い、喧嘩を始めていた。リックとレイラの息子であるロラン・アディスンとメナドの娘のミルファ・シセイである。もとはと言えばこの決闘は、ふたりにせがまれた親達が仕方なく行ったものだった。



「ミルファごめんね。ママ負けちゃった」

 帰路についたメナドは、胸に抱き上げたミルファにそう言った。

「グス……」

 ミルファはメナドの胸に顔を埋めると、鼻を鳴らしている。

「あらあら、どうしたの? いいじゃない。ママが一番だってことはミルファがわかっていれば。ママはそれがいちばん嬉しいよ」

「だって、ママはつよいけど、ロランはパパもママもつよいんだもん。ミルファには、ママしかいないもん」

 その言葉に、メナドは言葉を詰まらせた。あれから6年。ミルファには全人生を意味する6年であるが、メナドにとってはまだ6年に過ぎなかった。それは記憶を風化させるには短すぎる。

「……ミルファのパパはね、とっても強い人だった。ママや、ロランのパパよりも、その何倍も強かったの……。パパはみんなを強くしてくれる、そんな人だったから」

「……でも、どうしてパパはいなくなっちゃったの?」

ミルファが生まれてから、もう何度も繰り返したやりとり。

「…それはね、世界中のみんなを強くするために、旅に出ちゃったから……」

「みんな……?」

「そう。だから、ママもミルファも、ロランやロランのパパとママも、みんなパパのおかげで強くなってるの」

「……うん……」

「わかった? だから、泣いてちゃ駄目。パパが見たらきっとこう言うよ。『パパのミルファには、涙は似合わないよ。パパの好きなミルファは、いつでも明るくて笑顔の素敵なミルファだ』って……」

 そう言うと、メナドはミルファを胸の中に抱きしめた。自分が泣いているところなど、見られたくない。メナドは、ミルファをそのまま家に着くまで抱きしめていた。



 その夜、穏やかに寝息を立てているミルファの横で、メナドは夜空を見上げていた。

(アルフ……あれからもう6年も経つんだね。ミルファもこんなに大きくなったよ。……でもぼくは、あの時のことは片時だって忘れたことはないよ。アルフに教えられたこと。ぼくがぼくらしくあるってことがどういうことなのか……)

 星の瞬きに、アルフのあのいつも変わらない笑顔が思い出される。

(アルフ……ぼくは、アルフが好きでいてくれるために、そしてぼくがアルフを好きでいられるように、いつも明るくいられたかな。笑顔の素敵な、アルフの好きなメナドでいられたかな)

 メナドの頬をひとすじの雫が伝った。

(……こんなんじゃ、だめだよね。ごめん……。……また明日から、アルフの好きな、笑顔の素敵なぼくになるから……。今日は、ごめん……アルフ……)

 ミルファを抱いて、メナドは目蓋を閉じる。

 眠る親娘を星の光が優しく包んでいた。







 

目次 / 第十三章 / あとがき

 

inserted by FC2 system