友達

ある程度長いので読み込みに時間がかかるかも知れません……。

 

「もう、あなたには我慢がならない、サテラ!!」

 金切り声に近い叫びが部屋に響いた。部屋は静まりかえり、部屋にいた面々は様々な反応を見せている。名指されたサテラはまるでその言葉が何を意味しているのかわかっていないように面食らっている。ホーネット様はわずかにその細い眉を上げ、その完璧な微笑を浮かべていた顔を厳しいものに変えた。ハウゼルは驚きおろおろと心配げな視線を送っている。そして私――シルキィ――は興奮して顔を真っ赤にさせていただろう。だが心の中では、一番自分の言葉に驚いていたのかもしれない。

 だが吐き出してしまったその言葉はもう元に戻らない。呆然としていたサテラの顔が、ショックが過ぎ去り私の言葉の意味が理解されるにしたがって、だんだんと紅潮してくる。

「サテラだって……」

 その言葉を彼女が飲み込んでくれれば……そんな期待を浮かべたものの、それは無理な相談だ。真っ赤に燃えるようなその髪のように、彼女が感情を爆発させた時の凄まじさは私は嫌になるほど知っているではないか。そしてそんな私の予想通り、サテラは叫ぶように言い放った。

「サテラだって! あんたなんかにはうんざり、シルキィ!!」

 その後は、もう覚えていない。ふたりとも興奮してしまって売り言葉に買い言葉。結局その場はぶち壊しで、私とサテラは口もきかない喧嘩状態になってしまったのだ。






 もともと、サテラとは性格が合わないというか、苦手というか……とにかく彼女の存在は私にとって厄介事と悩みの種を作り出してくれる。今回私が感情を爆発させてしまったのだって、直接の原因はあるものの前々から鬱屈していた感情の積み重ねの結果だったのだ。しかし今回ばかりは……私はもう我慢がならなかった。そのはじまりは数ヶ月前だった……。






「サテラ、ちょっといい?」

 私はその日サテラの部屋をノックした。魔王城の一角にある部屋で、サテラは兵力増強のためにガーディアン――土くれに仮初めの命を吹き込んだ石人形――の製造に勤しんでいる。ホーネット様のお父上、前魔王ガイ様が亡くなられてから、ホーネット様に反旗を翻したケイブリスのやつが魔人界をふたつにわけた戦争を始めた。だが今は戦争とは名ばかりの小競り合いばかりで、もっぱら兵力の増強を優先している状態だ。モンスターのキメラを合成できる私と、ガーディアンを創り出すことができるサテラは、ホーネット様よりその任を与えられていたのだ。

「…………」

 サテラの部屋からは返事がない。ガーディアン作りに精を出しているのは結構なことだが、私のようにホーネット様のお手伝いもしてもらえないだろうか、と思っていたのだが……。まあそれは無理な願いだとしても、何か理由をつけてサテラの顔を見たかったのだ。サテラはここのところ部屋に篭もりっ放しだから。不老不死である魔人が空腹で死ぬという事は聞いたことはないが、それでもあのサテラがこんなに根を詰めているのは珍しい。誰だって慣れないものを見ると気がかりになるものだ。

「サテラ、大丈夫なの?」

 扉越しに声をかける。しかし返事はない。私の心に嫌な予感が生まれる。

「シーザー? いるなら開けなさい。いないのか? イシスでもいいから」

 サテラの両脇に常に付き従うガーディアンの名を呼んでみる。だが返事がない。それどころか、神経を集中してみると部屋には誰の気配もしない。私の嫌な予感はどんどん黒く膨らんでいく。

「開けないと、扉をぶち破るから」

 返事があることはもはや期待していない。私は言うか言わないかのうちに扉を破壊した。少女の外見をしたサテラよりもさらに一回り小さい身体の私は魔人の中では非力な方だが、何も見かけどおりの力しかないわけではない。破片と化した扉を押し退けて中に入ると、案の定そこには誰もいなかった。サテラはおろかそのガーディアンも、誰もだ。

「…………サテラっ!!」

 もう何度目か。私は誰も返事を返す事の無い部屋に向けて叫んだ。






 ホーネット様は、その報告をしても驚いた顔をなさらなかった。まるで既に知っていたか、それとも予想通りだとでも言うように。その冷静な美しい顔が、流れるような緑の髪が、今は少し私を苛立たせる。

「いつもいつも……サテラの勝手は今に始まった事ではありませんが、でも今はケイブリスの野郎と陣を構えて睨み合いをしているんですよ? 戦争なんです! よろしいんですか、ホーネット様?」

「サテラは奔放な子だから……退屈な作業に嫌気がさしたんでしょう」

 それなら、黙々とキメラを合成して、その上貴女の政務をお手伝いしている私はどうなるのです、ホーネット様!? 喉から出掛かった言葉をぐっと飲み込む。ホーネット様の言葉が続く。

「……問題は、その理由が何かと言うこと。ただの悪戯や散歩なら小言はやめにしましょう。しかしそうでないとしたら……?」

 その形の良い唇から紡がれる言葉は、しかし私にはよくわからない。彼女の頭の回転は、私などは及びもつかないものだ。

「それはどういう……ホーネット様?」

「メガラス、いますか?」

 私の質問に答えることなくホーネット様が厳しい声で呼ぶ。次の瞬間には最速の魔人メガラスが私の脇に立っていた。

「前線のノスとアイゼルに連絡を取って頂戴。大至急」

「……わかった」

 言葉短に頷いてメガラスが飛び去っていく。この無口なホルスの魔人は任務に忠実だ。内心どう思っているかはわからないが……。しかし私は彼ほど我慢強くない。説明も受けずに納得は出来ない。

「ホーネット様!」

「今私達にあってはならないこと、それは何? シルキィ」

 ホーネット様は唐突に私に質問を向けてくる。

「この戦争に敗れてあの愚鈍なケイブリスが魔王になることですっ!」

 私はそう叫ぶように答えた。

 私達魔人が互いに分かれ戦争状態になるのは歴史上……知られている歴史の上では、わずかに2回目だ。圧倒的な力を持ち魔人の生殺与奪の権を握っている魔王がいれば、そもそもそんな状態にはならないのだが。1度目は約1000年前、魔王がふたりになったために起こった魔王戦争、そして2度目が今私達が対面しているもの。前魔王ガイ様が血の儀式を施し、その魔王の力を譲り渡したにも関わらず、その現魔王リトルプリンセスが支配者として君臨しないために、ケイブリスの野郎がリトルプリンセスを殺して魔王になろうとしている。


「な……んでっ! ケッセルリンクもカミーラもケイブリスを嫌っていたのに! カイトもレイもそうだ。連絡もよこさない。もうケイブリスの軍に加わったのか……! あんな欲と憎しみで寄り集まっているような軍に!」

 私は今この場にいない魔人に――ガイ様の遺言を守らなかった魔人に毒づく。魔人の戦争は人間の戦争とは違う。それはひとつには魔人が魔人の攻撃しか受け付けない不死の身体を持っているからだ。従って実際には戦争の勝敗を握るのは軍ではなく、魔人の数である。24の魔人の比率が偏った時、勝利の帰趨は決定する。もちろん単に相手の動きを封じたり、地域制圧をしたりする意味で軍もある程度必要なのだが。そしてふたつには、魔人が――そして魔物が戦争を知らないということか。何事も群れなければ成し得ない人間と違い、私達魔人は何事も個人主義の傾向が強い。それゆえ戦争も単なる力の押し合いになるのが普通だ。数百年も互いに戦争を繰り返している人間達からみれば、さぞかし幼稚な戦争だろう。それでも、今私たちは7人、ケイブリス達はおそらく2倍かそれ以上、最悪3倍の魔人を有している。正直、この差は辛い。

「しかし、サテラが少しの間いなくてもそれほどには……」

 先ほどの怒りは何処へやら、私の口からはそう突いて出る。しかし事実だ。サテラはガーディアンメイキングの技能を買われて魔人となった。その技能はしかし魔人同士の直接戦闘では意味の無いものだ。だから最前線で肉弾戦を繰り広げるのはノスやアイゼルやメガラスといった剣や格闘に長けた魔人の役目。かく言う私もキメラ合成以外にかくたる取り柄がある訳ではないが、それでもリトル――私が作った私の手足となる乗り物、合成魔獣だ――に乗った私の方がいくらかは前衛に向いている。

「ええ、けれど私達の陣営が必ずしも一枚岩のような結束を持っているわけではないことは、シルキィ貴女も良く知っているはずです……」

「ではっ! ノスとアイゼルも……!?」

 私の思考が急にその結論に飛び付く。確かにノスもアイゼルも私達の理想とは違う思惑で戦っているらしいことは薄々わかっている。リトルプリンセスを魔王にし、人間と相互不干渉な平和な世界を作るのがガイ様の望みであり、今の私たちの理想なのだが。私が自分の発した言葉の意味を噛み締め、ホーネット様がそれに答えを返さないうちに答えは私の背後から返って来た。

「ノスとアイゼルの姿が見えない。軍の指揮は魔物将軍が執っていた」

 メガラスの言葉が、事態の急転直下を私達に告げた。






「シルキィ、あなたはすぐに自分の城へ向かって」

「は……はいっ!」

「メガラスはハウゼルとカスケード・バウでアイゼルの軍の指揮をとって頂戴。私が西の森、ノスの部隊を指揮します。指揮官の魔人がいない今攻められたら、総崩れになりかねないわ!」

 ホーネット様の言葉に、私はすぐさま飛び出した。こんなときメガラスが軍を率いられれば良いのだが、無口すぎるこいつは同族のホルス以外率いようとしない。率いたとしても烏合の衆となるのが落ちだ。個人戦闘か連絡用にしか役に立たないのだ。それと各自の移動速度を考え合わせればこの配置は順当だろう。リトルを全速力で飛ばしても私はこのメンツの中では一番遅いのだから。しかし今になって思えば、この決定に異議を唱えるべきだった。ホーネット様ではなく私が最前線に赴くべきだった。

 運が悪かった……といえばそうなのかもしれない。ノスもアイゼルもサテラも、膠着状態の戦況がそのまま続くと考えて出て行ったに違いないから。彼らが出て行った直後にではなく、ホーネット様がぎりぎりで辿り着けるぐらいのタイミングでケイブリス軍が攻めてきたのは、しかし最悪のタイミングだった。






 カッ……!!

 まず閃光。最前線と魔王城の中間地点にある自分の居城に到達して、私の気付いた最初の異変がそれだった。ホーネット様が向かわれた西の森の方角からまばゆい光がさしたのだ。そしてその光から遅れること数秒、轟音が鳴り響き城までを揺るがした。

「何事だ!!?」

 そう口走るが、私がわからないのに魔物将軍などにわかるはずもない。だがひとつだけわかっていた。それがとてつもなく嫌な予感のするものだと。その光は死と破壊のイメージを含んでいた。そして私は自分でも知らぬうちに走り出していた。

 私は必死にリトルを駆り、自分でも信じられない速さでその場所へと辿り着いた。私の居城から南西にあるその地。そこにはかつての鬱蒼とした森はなく、赤い土が剥き出しになった巨大なクレーターがぽっかりと穴をあけていた。そこで向かい合っていたはずの軍も跡形も無く消滅していた。そして魔力が荒れ狂ったようなチリチリとした感覚。何が起こったのかは皆目見当がつかないが、そんなことは瑣末な事だ。大事なのはホーネット様。貴女がいなくなったら、私達、いや私はどうすればいいのです?

「ホーネット様ぁー!!」

 声を張り上げる。その声に答える姿は、しかし何処にも見当たらない。何しろ見渡す限りが生き物の存在も感じられない焼け野原、しかも強烈な魔力を帯びた何かの屑のような灰が降り注いでいる。その灰は触れただけで力を奪い取られるような感覚に襲われた。私が魔人で無くただの人間の小娘だったなら、それに生気を吸い取られあっという間に絶命していたのかもしれない。

「ホーネット様……何処にいらっしゃるのです……」

 当ても無くふらふらと死の荒野を彷徨ってみても、ホーネット様の姿はない。まさか、まさかまさか…………私の中の不安は高まる。そんなはずはない、とその考えを振り払うように頭を振り、天を仰いだ時だった。

「シルキィ……?」

 ホーネット様の姿が宙に浮かんでいるのが私の目に入った。しかし浮いているというより、漂っているといった風情で力なく、そしてその服は見るも無惨にぼろぼろになっている。

「ホーネット様っ!!」

 私のその言葉が終わるか終わらないうちに、ホーネット様は失速しどさっと私の手の中へと倒れ込んだ。私は必死にかき抱いた。ホーネット様は意識を失っていた。煤けたようになりぼろぼろの衣服。そこから覗く白い肌には火傷のような魔力の跡。美しい御髪も灰にまみれている。しかし幸いな事に命に関わるような傷はないようだ……。私の胸の内に抱かれたホーネット様がその時ばかりは小さく感じられた。

 私はホーネット様を抱えて自分の城へと戻った。魔王城まで戻りたかったが、一刻も早くホーネット様を安静にしなければ、という気持ちの方が強かった。

 城へ着くと、まず何より先にホーネット様をベッドへと横たえた。ぼろぼろになりもはや用を成さない服を脱がせ、身体を拭く。ホーネット様の透き通るような肌が傷だらけに煤けているのは見るに忍びなかった。

 薬を塗りこんで手当てをしたが、ホーネット様の意識が戻らない。おそらく限界以上に消耗しているのだろう。だがこれ以上は回復魔法の使えない私にはどうしようもない。すうすうと穏やかにホーネット様の胸が上下するのをただ見守るより、私にはしなければならないことがある。ホーネット様が目を覚ました時に、我が軍が壊滅していたのでは話にならないから。私はホーネット様を残して静かにその部屋を出た。







 しかし結局、戦況には私が懸念したほどの展開はなかった。ケイブリス軍は動きを見せなかった。ハウゼルが指揮を取るカスケード・バウでも小競り合いの域を出る戦闘は無い。幾分回復して意識を取り戻したホーネット様が語ってくれたことによればそれも納得できたが。

「レッドアイが軍を蹴散らして進んできたのよ……」

 ノスの陣を襲ったのはケイブリスとレッドアイだったらしい。レッドアイは命を持った宝石の魔人。闘神の身体を持った狂える魔法使いだ。頭の中身はどうしようもなくイカれているが、単純な魔力だけならホーネット様さえ上回る。その出鱈目な攻撃がホーネット様の魔法と正面から激突してしまったのだ。結果があのクレーターである。ホントに……あの狂った馬鹿が! ホーネット様が無事だったからまだ良かったものの、そうでなかったらあの宝石についた目玉ごと粉々に叩き割ってやりたい。

「くすっ」

 ホーネット様が微笑をこぼす。あっ、と……私はすぐに感情が表情に出てしまうようでいけない。ホーネット様に隠し立てするような事は私には無いが、それ以外の他人相手に物事を円滑に進めるには問題があったりする。直さねばと時々思うが、性格的なこれはやはり直せないと諦めてもいる。私は気を取り直して言った。

「でも、守る側としてはこれは我々に有利ですね」

 あの大爆発、しかもホーネット様でさえこんなに重傷だ。レッドアイやケイブリスと言えどすぐには動けないだろう。しかも偵察させたところによればあの地はもはや行軍不可能だ。魔人ならばともかく軍の大半を構成する下等なモンスターではあのクレーターを渡り切るまでに命を落してしまう。つまりこれで守勢側の私たちとしては、カスケード・バウ方面だけに軍を振り分ければ良い事になる。それだけなら、私やハウゼルが指揮を取れば、ホーネット様がこんな状態でも、軍の数が負けていても、なんとか誤魔化せるだろう。

 そんなこんなで、しばらくは目が回るほどの忙しさでサテラ達の事は失念していた。目の前に山積みになる問題を片付けるだけでおおわらわになり、その大元の原因にまでは気が回らなくなっていたのかもしれない。だが、その日サテラが帰ってきたのだ。

 出迎えたのは偶然にもホーネット様だった。いや、ホーネット様は魔王城で静養中でその分私やハウゼルが執務や軍務に走り回っていたのだから、当然だったのかもしれない。私はホーネット様から呼び出しを受けてハウゼルと一緒にサテラと顔を合わせることになった。






 魔王城の会議室。そこで私達は一堂に会した。私達というのは、ホーネット様、私、ハウゼル、そしてサテラの4人だ。ハウゼルと共に部屋に入った私は、そこにサテラとホーネット様だけしかいないのを見て内心訝った。サテラだけが戻って来るとは……ノスとアイゼルのふたりと行動を共にしていたのではなかったのか?

「おかえりなさい、サテラ。無事だったのね」

 そんな私をおいて、ハウゼルが声をかける。その顔と声色は、彼女が本当に心から心配していた事をうかがわせる。この娘は、誰にでも分け隔て無く優しい。魔人であるのが嘘のように。己の双子の姉と対している戦争中であるのが偽りであるかのように。その外見のように、まるで天使であるかのように。

 しかし私はハウゼルではないし、ハウゼルのようになれるとも思っていない。私は魔人で、ホーネット様に仕える者で、今はまがりなりにも軍を指揮する立場にある者だ。私の口から出たのはつっけんどんな言葉だった。

「……サテラ、どういうことか説明してもらおうか?」

 出迎えの言葉もなしに、というのはまずかったのかもしれない。しかしサテラの姿を目にしたときから、忙しさで久しく忘れていたあの苛立ちは再び募り始めていた。自分の仕事を勝手に放り出して、私達に断りも無く姿をくらましたというのに、そんなことなど毛ほども意識していないように悪びれずに椅子に座っているサテラの姿。だから私の声はまるで詰問するような調子のものになりそうになる。私は自分の感情を押さえるだけでも一苦労だった。

「……説明って?」

「あ、私達、まだサテラが帰ってきたっていうことしか聞いていないのよ。今までのこととか……話してくれない?」

 サテラが少し困惑したような視線を私に向けたのを見て、ハウゼルが慌てて取り繕う。彼女にはいつも緩衝材の役割をさせてしまっているな……。

「うん……わかった。サテラは…………」

 少し躊躇うような様子を見せたサテラだったが、少しずつ話し出した。ハウゼルに感謝しよう。

 サテラの言うところによると、今回の脱走の首謀者はノスということだ。それにアイゼルが同調し、サテラもくっついて行った……とそういうことだ。魔人領からヘルマンへと向かい、その皇太子の功名心を利用してリーザスへと戦争を仕掛けさせる。

「馬鹿よねー。サテラ達の目的も知らずに」

 サテラはまるで自慢話のようにきゃらきゃらと笑いつつ話を進める。しかし私はそれに付き合うつもりはさらさらなかった。

「なら、お前達は何が目的だったんだ?」

 その言葉に興を削がれ、サテラが今度は間違いなく睨んできた。

「サテラは、これがホーネット様の役に立つ事だって思ってやったんだ!」

「まあまあ、シルキィ。サテラの話を聞くためにここにいるんでしょう?」

 ハウゼルが私を諌める。確かにそうだ。私は焦りすぎる。全てを聞いてからでも遅くは無いだろう。それが良い結果であるとは到底信じられはしなかったが。

「ノスが言った。リーザス城に眠っているものを取り戻せば、ケイブリスなんか目じゃないって。そのために、リーザスを追い詰めないといけなかった。だから、ヘルマンに力を貸した……」

 リーザス城。サテラの口からその単語が出ると、私はその身を固くした。そこには、封じられているものがある。サテラは知らなかったのか……?

「………………」

 サテラはそれきり口を閉ざす。だいたいのところは予想がつくが……事が事だ。はっきりさせなければなるまい。

「それで、ノスとアイゼルは? 一緒に帰っては……来なかったな?」

「……わからない。多分死んだんじゃないかな」

「死……ん? そんな……だって私達は魔人なのよ。不死身……なのに」

 そう言ってハウゼルが絶句する。確かにハウゼルの言うその通り。しかし例外がある。

「それじゃ、見たんだな。カオスと……ジルを?」

「え?」

 サテラが驚いて顔を上げる。その表情に偽りは無い。それを見て私は確信する。……そうか、知らなかったのか。

 リーザス城の地下には魔剣カオスだけではなく、それによって封印された先々代魔王ジルが在る事を……。

 続くサテラの言葉は私の考えを裏付ける。

「カオスは……人間が持っているのを見たけど。ジル……ってあの伝説の魔王ジルのこと?」

 ガイ様の前に魔王であったジルは、1000年前の魔王戦争でガイ様に敗れ、現在リーザス城となっている場所にカオスによって封印された。それを知っているのは、もはや魔人でも一握りの者だけだ。サテラが知らなくても不思議は無い。

「サテラは……カオスが手に入ればケイブリスに勝てるって、そうアイゼルに言われて……付いて行ったんだ」

 サテラはそう小さな声で締めくくる。それが失敗に終わった事を、少しは反省しているのか。その様子を見ると、私はそれ以上追及する気が削がれた。アイゼルの口車に乗り、ほいほいと付いて行ったはいいが、カオスを人間に奪われて逃げ帰ってきたというのが大筋か。ノスもアイゼルも、そして元魔王とはいえジルも、この分では生きてはいまい。私が視線を向けると、ハウゼルも事の次第を察したようだった。

「そう、わかった……」

 だからそう言って私はこの件を切り上げようとした。しかし収まりかけた私の感情の高ぶりに再び火をつけたのは、他ならぬサテラの言葉だった。

「それより、ホーネット様の傷はどういうことなの!?」

 今度は自分が説明を受ける番、とばかりにサテラが私達ふたりに詰問した。

「ホーネット様がこんな怪我をするのを、どうして見過ごしたりした!? シルキィ! あんたはぴんぴんしてるじゃない!」

 誰のためにホーネット様がこんな傷を受ける事になったと思っているんだ! 私がサテラの尻拭いをする分にはまだいい。しかしサテラの自分勝手な行動でホーネット様が傷付き、我々は窮地に立たされることになっている。ガイ様の理想も潰える事になる。それなのによくもあっけらかんと私を非難できる。そんなあなたの身勝手さが私には我慢ならないのだ! 今まで溜まりに溜まっていた感情が一気に沸点に達するのを私は止められそうも無かった。気がついたら私は叫んでいた。

「もう、あなたには我慢がならない、サテラ!!」

 私の怒りが爆発した事を、誰に責められよう?






「ねえ、シルキィ……」

「何、ハウゼル?」

 執務室と自分の研究室と寝室の3箇所を回るだけの生活を続けていた私に、ハウゼルが声をかけてきた。その声は沈んでいる。その原因の一端が私にあることはわかっているが。

 ハウゼルは訴えるように私に提案する。

「一度、サテラと話をしてみたら……」

「話す事なんか無いわ、サテラから謝ってくるまでは」

 私の答えはそうなってしまう。我ながら子供っぽいとは思うが、百年以上積もってきた鬱憤はやはりそう簡単に解消できるものではない。私の言葉にハウゼルは悲痛な面持ちをする。

「でも、それじゃ……今ここで私達がばらばらになってしまったら……私たちの軍は……ホーネット様はどうなるの?」

「…………」

 それを持ち出されると何も言い返せない。私が在るのはホーネット様だけのためなのだから。ふうっと息を吐いて私は答えた。

「でも、顔を合わせてももっと悪くなるだけだと思うけどな……」






 嫌な予感ほど的中するものだ。結局サテラと顔を合わせても罵り合いになるだけだった。それどころかさらに白熱してしまったのだ。

「決闘〜〜!?」

「そう……」

 私の話を聞いたハウゼルは真っ青になって卒倒しかけた。何故こんなことになってしまったのだろうか。興奮で定かでない記憶の残滓を呼び起こす。直接のきっかけはこうだったか……。

「シルキィ、あんたなんか友達じゃない!」

「友達? 当たり前だ! 私だってサテラを友達に持った覚えは無い。私とホーネット様の間に割り込んできた、サテラはおまけじゃないか!」

「何だって! ホーネット様とサテラは幼馴染だぞ!」

「ふん、幼馴染か、よく言う……ホーネット様があんなにぼろぼろになったのは誰のせいだと思ってる。ホーネット様だって幼馴染の縁を切りたがっているわ」

 ……そう。ホーネット様だ。私とサテラの百年を超える付き合いは、ホーネット様を軸にして回ってきた。ガイ様――魔王の娘であるホーネット様に、私は影となり尽くして来たつもりだ。サテラは、まだ幼かったホーネット様の相手としてガイ様が連れて来た娘。私とサテラの接点は、その一点に尽きる。……そう、それだけだ……。






 決闘の場所は、自然と決まっていた。今戦場から離れて充分な広さがあるのは、光原しかなかったからだ。

「さて、今謝るなら許さないでもないわ。その自分勝手な思考を」

 私はそう言って、リトルの座席上の高みからサテラを見下ろした。

「誰が! サテラはシルキィに謝る事なんか何も無い!!」

「その考えが身勝手だと言うんだ!!」

 開始の合図も何も無かった。まずは私がその高ぶる感情のままにリトルの巨大な拳を打ち込んだ。拳はサテラの倍はありそうな大きさだ。しかしサテラは魔力で宙を舞うと、それをあっさりとかわす。

「私が今まで……どんなにそれに振り回されてきたか!」

 ぶんっ! 間髪入れず、鋭利な刃物の付いた脚で薙ぐようにサテラを狙う。

「そんなことっ……サテラが知るか!!」

 サテラの掌に魔力の光が宿った。

「ファイヤーレーザー!!」

 4本の熱線が空間を切り裂くように私に迫る。しかし私はリトルの4本の脚でそれを防いだ。

「無駄だ、お前の魔力では……。人間の世界でどれほど気分良く「無敵」を楽しんできたかは知らんが、魔人同士ではお前の魔力は弱すぎる」

「そうっ? でもあんたの乗ってるリトルは魔人じゃない!」

「シーザー!」

 サテラのその声と同時かそれよりも早く、シーザーが己の身の丈を超える長剣を振り下ろしてくる。リトルの脚の一本が、凄まじい力で叩きつけられた剣の一撃でもぎ取られる。

 しまった。私はサテラに怒りを向けるあまり、彼女のガーディアンを意識していなかった。彼らの物理攻撃は、私にしてみればサテラの魔法攻撃よりも厄介だ。

 しかしそれを思う間もなく再びサテラの声。

「イシス!」

 今度こそまずい。イシスの生物離れしたスピードの攻撃を受けては、リトルでは持ちこたえられない。私は何とかサテラを捕らえようとリトルの残った脚を伸ばした。間に合え!

 …………?? しかし予想されたイシスの攻撃が来ない。リトルの脚は何の障害もなくサテラの身体を捕らえていた。

「う、くぅっ……」

 サテラが声を上げる。リトルの力は確かに強いが、魔人であるサテラに傷をつけることは出来ない。だがサテラの声は深い傷を受けたような……いや、これは……

「サテラ、泣いているのか……?」

 私は思わずそう尋ねた。

「あはは、サテラの、負けだ…………イシスは……もう、いなかったのに……馬鹿だな、サテラは……」

 そう……だったのか。私は瞬時にして覚わる。サテラは、イシスを失ったのだ。彼女のお気に入り。Tのシーザーと対を成すUの刻印を持つガーディアン。既に彼女の一部となりかけていたであろう存在を。

 イシスを失ったこと、それはサテラにとって如何ばかりの悲しみだったのだろう。私にはわからない。私の大切な人を思い浮かべる。寿命が決まっていたガイ様との別れは、あらかじめ身構える事が出来た。ホーネット様を失ったかと思ったあの日、あの気持ちが近いだろうか……? サテラは他人へ感情の矛先を向けることで、その悲しみを紛らせていたのだ。何故、私はそれに気付いてあげられなかったのか。少しサテラを真っ直ぐ見れば、すぐに気付いただろう事。しかし私は自分の感情に溺れていた。

 私はリトルの腕から、サテラの身体を自分の胸の中へと抱き入れた。

「うっ……うえぇ……えっ……」

「サテラ……ごめんね。ごめんなさい……」

 泣きじゃくるサテラの髪を撫でる。でも、あれ? 視界が曇る。私の目からも、涙が零れている。

「シルキィ、サテラ……」

「ホ……!」

 ホーネット様。いつの間に現れたのか、ホーネット様が私達ふたりを抱いていた。その温かさに、私は感情が激しく零れ出すのを止められなかった。

 そうだ。私はサテラに怒りを抱いていたんじゃない。それは嫉妬だ。サテラだけに許された幼馴染という地位。私はただ、ガイ様の部下としての立場を、ホーネット様を支えるという意識を固持していた。ホーネット様とは、主従の関係だった。だからサテラが羨ましかった。私がいない、ホーネット様とふたりきりの時、ホーネット様を呼び捨てにして、仲良く笑っているのが羨ましかった。私には無い特権。私には無い明るさ。私には無い自由奔放さを持ったサテラが眩しかった。何よりも眩しくて、そしてそれが手に入らないものだと知っていたから、悔しかった。だから、それを否定する事で、サテラに怒りを向けることで、私はそれをどうにかしようとした。私のサテラへの感情は、私自身が築いていたサテラとの障壁だった……。

 しかし、それはたった一言で氷解する。

「シルキィ、あなたも……私のかけがえのない友達なのよ……」

 私は泣いた。声を上げて。ただのか弱い幼児のように。サテラと一緒に。いつまでも泣いていた。






「じゃあ、行ってくるね、みんな」

 ここは魔王城のバルコニー。サテラはリトルプリンセス警護の任をホーネット様から任され、先行しているメガラスに続いて今飛び立とうとしている。ホーネット様と私とハウゼルは見送りだ。

 結局、あの後私とサテラは存分に自分の溜めてきた想いを吐き出した。百年以上共に過ごしてきて、やっと友達になれたのかもしれない。

「サテラ……」

 私が名を呼ぶと、くるりと振り返る。

「なに? シルキィ」

「その…………気をつけてね」

 以前はこんな言葉が自然に出るなど、思いもよらなかった。サテラがちょっと目を瞬かせた後、笑みを浮かべて私に近寄ってきた。それには私も戸惑う。

「うん、今度会う時は、きっとリトルプリンセス様を連れて来る……」

 そう言って、私を抱きしめる。サテラより一回り小さい私の身体は、容易にその腕の中に入ってしまう。でも嫌ではなかった。サテラの体温が温かかった。

「じゃ、行って来る!」

 ぱっと私から離れ、サテラがふわりと飛び立つ。そしてその姿はシーザーと共にあっという間に小さくなり、空の彼方へと消えた。しかし私は、その友達の姿をいつまでも見続けていた。

 

 

 

あとがき

 シルキィとサテラの、鬼畜王本編以前の過去のお話です。このふたり、性格合わないなぁ……と思います。でも友達でしょう。ならどうしてそうなったのか。そんなことを考えていて書きました。それに加えて、死の大地を作ったと言われるホーネットとレッドアイの対決、ランスVでのサテラの脱走、などのエピソードを加味して出来上がりました。こういう設定を組み合わせるのは、パズルのような楽しさがありますね。

 しかし本当は、これに加えて鬼畜王本編でのシルキィ玉砕のエピソードも加えたかったのですが、どうにもまとめられず、このような形になりました。けれども、そこのところ漁民さんにアイディアを頂いて、続編にあたる「さよならにかえて」を書きました。ふたつあわせて一本というお話ですから、こちらも読んで頂けると、より楽しめると思います。

inserted by FC2 system